揮発油安全燈

こちらは激珍品、揮発油安全燈である。

いわゆるマイナーランタン、鉱山用の可燃性ガス・窒息性ガス充満検査用ランプ。炭鉱に特有のメタン発生を知る為の計器として、イギリスのデービー博士が開発し、後にドイツのウルフ博士が揮発油用に改良したものの国産版。よってこの形のものをウルフ灯といっている。

測定計器の携行入坑が義務化されている今はこのようなものをつかうことはない。リプロダクションされているインテリア用のものは、坑道では着火出来ないので予め点火しておく灯油用。これは坑道内で自由に点火出来るものである。

うちのちかくの古道具屋さん、ぶらっと入っても大抵はワカラナイモノダラケ、予備知識が豊富な人しか楽しめず、こういうのを持っている人が預けていく。

ありふれたものでないこれは未使用だった様子。ひとめぼれして、無理を押して買ってしまった。

本多商店と云う東京八丁堀にあった店が売っていたことが窺えるが、なんと昭和15年である。この年代でもこのようなランプを使って保安していたと思いきや、そのころは既に専用の計器が主流だった。これは船関係の蒐集家から出たらしく、船員が使っていたものらしい。

いぼのように出っ張っている孔は本来カギ穴で、歯車が切られたカギを差し込み左に回すとロックが解除され、煙突を緩められる。坑道内でこれを解き、うっかりライターを動かすと、爆発することもあるからだ。あいにくカギは失われているので、動作しないように中に細工してカンヌキを押さえてある。

点火用のフリント着火器がバーナーに並んでいる。

バーナーの中には芯が納まっていて、底にあるつまみを左に回すと芯が上がって来る。

芯は微妙に高さが調整出来るだけで、あとは消火の為に思いきり引っ込める仕掛。灯油は火花では着火しない。このあたりが分かっていないとこれを手にしていきなり灯油を入れて壊してしまうことになる。
手前のマンホールみたいなものが給油口。いちいち工具がないと開かない。

操作部分。

まるいつまみが芯の上げ下げ用。針金のつまみはライターの操作用。

ライターは着火時つまみを持ち上げ押し込むとローレット部分が上がる。着火後はつまみを引いてライターを下げる。

オイルライターを連続点灯するようなもの。

燃料は本来は粗製ガソリン所謂ナフサ。今はより高級な白ガソリンがあるのでそちらをつかう。

防爆のしかけ。

煙突側は幾重にも重ねた金網であるが、下側もやはり金網で烟火が暴露しないようになっている。

落としたりぶつけたりしてグローブが割れても大惨事になる虞れがある。グローブの厚みは恐らく5mm以上である。これなら割れることはない。

グローブ回りは絶対がたつかないようにバネを仕組まれしっかり押さえ込まれている。


ストロボ撮影と実光撮影。ロウソク一個分程度である。これは年代が新しく、このころのこれは明かりの為のランプではない。あくまで、可燃性ガスがあれば炎は大きく荒れ、窒息性ガスや酸欠であれば小さく煤けるという自然のならわしをインジケーターに使う計器であるが、この個体は船検済の打刻があり、出自が船員のボンクでの手用カンテラとしての販売だったことが分かる。

メタンガスに引火しない安全な明かりとして安全灯を発明したのは英国の化学者ハンフリー・デービー(ボルダ電池で盛んに電気分解をし、主要6元素を発見)、彼は金網の中の炎は外のメタンガスに引火しないことを発見して灯油式のデービー安全灯を作った。ほぼ同時期イギリスの医師クラニーや蒸気機関車のスチーブンソンなどが安全灯を考案するも、結局後にデービーの方式を使うので、安全灯の発明者はデービーということになる。デービーは炭鉱労働者の安全と利益を考え、敢て特許を申請しないが、それ以前に彼は後の大科学者ではあるものの元々は貧困の中で育ち高等教育とは無縁であったマイケル・ファラデーを見いだしていることからも心意気が分かる。当のデービー自身も貧者の出身で、通ずるものを感じ奉仕に努めた。
その安全灯だが、金網を被せることにより元の裸火と比べ三割に減光されてしまうのが欠点、メタンガスを含む空気の流れに晒されると、燃焼が網の中だけで納まらずに炎がガスに引火する危険もあった。これを後にクラニーが燃焼部分をガラスのホヤにし、網の部分を煙突に納め、光量もデービー灯の3倍になり、メタンガスの引火の可能性も減る。しかしこうしてもメタン濃度が高まって灯火内の炎が伸び、網を赤熱したところにメタンの流れが触れると引火爆発する危険があるので、網の部分を筒で囲い可燃性ガスの風よけにしたマルソー灯が開発され広く使われることになった。ここまでの炭鉱用安全灯は燃料として植物性油や鉱物油を使ったが、煤がガラスを汚し、さらに伸長した炎で網の部分に溜った煤が赤熱されガスに引火する危険性が残り不完全だったが、1883年にドイツ人ウルフによりこの揮発油安全灯が発明されたことで光度低下と煤の問題が解決。これは燃料に粗製ガソリン(ナフサ)系の燃料を使用するのが特徴で、煤の発生が殆ど無く、灯油の安全灯の欠点を克服。また金網部分を囲う筒が円筒型と鎧状の型に分かれた。この安全灯は鎧型。
 日本では江戸期から明治期に入り、比較的に地表から浅いところで採炭していた時代には通気と排水の問題ばかりでガスの問題はまだなく、油皿に芯を立てた裸火のカンテラで事足りていた。後だんだん深く採炭するようになりしばしばガス爆発事故を起こし、デービー、クラニー、マルソー式などの輸入安全灯が坑内に用いられる。当時は専ら明かりとしての利用で、炭鉱の話に出るカンテラというのはこの時代以降の安全灯のことである。その炎の伸長によりメタンガス(沼気)発生とその濃度を知る重要な検知器の役目を果たした。メタンガス発生を知る手だてがまったくなかった時代には、無臭で空気よりも軽いメタンガスの発生を知るために坑内に篭に入れたカナリヤやハツカネズミを連れ込み、カナリヤが止まり木から落ちたり、ハツカネズミの動きが鈍くなると急いで坑内から脱出するという方法をとられた。
 日本で炭鉱のカンテラというと炭鉱資本による弱者からの収奪と過酷な労働の象徴だが、エジソンが2人の熱心な鉱山技師の願いを請け開発した防爆の充電電池式キャップランプが日本でも大正期から昭和の始めにかけて大手の山を中心に取って代わったので、以後はカンテラの役目から簡易メタン検知器として使われる。ガス検知器として使う場合は炎を青火の1.5ミリの高さに調整、その炎の伸長具合でメタンガスの濃度を測定するという使い方をしたが、昭和になってから理化学研究所が光学干渉式ガス検知器を理研ガス検知器として発表すると、安全燈は小炭鉱でガス検知器として使い続けられる他、手許灯明として船員に重宝され始める。実際横倒しにしても安全で、燃焼中に煙突を触っても暖かい程度で火傷もせず、燃料のナフサは賄室の焜炉に使用されており共用出来たので不都合がなく、分解せずとも着火出来便利なので、箱棚寝台での灯火として高価ながら普及することから、手用カンテラとして当局が舶用としての安全検査を施行した。この当時はまだ下級船員の寝台には電灯も窓もないが、明かりとして蝋燭を使うのをボヤを防ぐ為禁じられていた。暖房もないので、寒い時期にはこのランプの煙突を手に包んで暖をとったとも聞いている。その用途が増えた後、吊り金具をハンドル状の大きなものにして船具店が扱ったそうだ。
あれこれ調べた結果、この個体は船具と云うことで決着するような感じがつかめた。

ロシアの一部の炭鉱では今尚この安全燈が唯一のメタンガス検知システムである場所も存在するらしい。金属鉱山では可燃性ガス発生の心配がなく、このような防爆安全灯は必要ないという。また、以前地表から浅いところで採炭していた頃に、坑内の火番所に出掛けて煙草を吸うのにわざとカンテラの火を消す坑夫がいたらしいが再着火装置のあるウルフ灯ではその手が使えず文句が出たという話もある。

アテネで太陽から採火されたオリンピックの聖火を開催地へ移送の際はこのような炭鉱用安全灯に移されて飛行機に乗せられる。

北炭夕張鉱の安全灯整備作業。古い絵葉書の写真。大正期の、キャップランプを常用する以前のもので、膨大な数のウルフ灯が並んでいる。女性従業員は袴姿が制服だった。左端の女工は大きなオイルタンクより燃料を一個づつに入れる係りのようだ。

上と下ではアングルが違う。
坑夫ひとりに一個だった安全燈は、毎日整備が欠かせなかった。塵埃でどろどろになるし、グローブのヒビや機体の歪みの点検、燃料補給とやることは多かったようである。

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