:ライフル種目・エアピストル射撃(AP又はSAR)について:
ARS種目にて協会審査による初段乃至HR種目にて初段以上を持ち、協会加入1年以上かつ公式競技に年2回以上出場の実績があり、協会の試験に合格している選手が希望することにより、全国で500人に限られる推薦枠の範囲で指名推薦を受けられる種目です。ARと同じ10mの距離で、男子60発(AP60)・女子40発(AP40)で競われる国際競技で国体種目でもあります。ジュニア選手の育成も積極化していますが、この場合はレーザー光線を発射するビームピストル・デジタルピストルの選手から選抜されていますので基礎が固まっており、常に上位に就きます。推薦枠は常に一杯で、ジュニアの養成選抜でもない限り新規の推薦の発行は数年待ちの状態でしたが、平成23年度から推薦要件の厳格化と5回目以降の推薦には年度毎に公式試合で530点以上を一度以上記録せねばならなくなり、漏す選手が出る可能性が高くなって、待ち時間的に見れば短くなって来るものと思われます。
日本では完全な競技種目であり、上記のように競技者でなければ所持許可は受けられず、許可期間も2年に限定され更新はなく、継続する場合は改めて新規に許可を受け、自分から銃を譲り受ける形をとります。基本的に1選手1銃で、買い増しの為にはAP3段以上を持ち、競技回数が規定数以上の活動を数年以上維持し得なければ推薦されません。
本来はHRの前にこれをご紹介すべきですが、こうした特殊性から一般的に着手し難く継続し難いことを享けて後回しにしました。ここに到達する方の多くは、曾てはHRからが多かったのですが、現在ではARと合わせて競技する人が増えています。APの再推薦を得る為には、規定の期間内に改めてAP競技による推薦規準点を競技中に得る必要があり、体調や練習量から断念せざる例がとても多いのです。こうしてAPを継続出来なくなった場合、一旦銃器を業者に譲渡し、HRに改造後改めて空気銃として許可を受けるか、APの侭業者に譲渡するしかありませんが、改めてAP選手として推薦を受け直すには、既述のAR乃至HRの審査規準を満たさねばなりません。こうしたことから、広域競技ではないHRに「降格」する虞れを擁するよりむしろ一時ARの派生参加選手として理解し、AR選手生命を温存する方策を良しとする考えから、現在はAR4段以上の選手が参加するようになってきています。この種目はかくの如くこれに加わることで尻に火が付く状況を招きつつもそれを認めて頑張り続けるというものであり、AR射撃場にAP選手が現れたら最早神の降臨そのものと理解されるべきです。
ピストル射撃とライフル射撃はそもそも別種のものです。使う筋肉が違い、射撃感覚も全く別です。私的にはこれはこれとして認めて欲しいところでもありますが、日本は原則としてけん銃の所持を認めない法制度ですので、いろいろ無理をしてけん銃であるAPを限定的に許可して国際的な選手の育成に根ざしている「外交準備行政」の典型的なものです。広く見ればHRもこの考えに基づくものですがいきなり免許される点で違いは大きいのです。APは1000gでHRより若干軽く、銃身が短くストックがない為とても不安定で、HRが主に縦の揺動の制御に努めるのに対しAPは全方向三次元的揺動を完全制御することになり練習内容も分厚いものと施ざるを得ませんが、これとARを同時に競技になる程練習し続けるとなれば、ARのみの活動から比べると数倍は時間とコストを割く必要に迫られます。単にピストルが撃てるという興味から目指すというより、一時代のこの種目を担いたい位の意気込みを以て臨んで欲しいと思います。
銃器の蓄気方式は、昔はARと同じくスプリングやポンプ、稀に炭酸ガスで気圧を得るものでしたが、現在はプリチャージニューマチック(PCP)のみです。性能としてはどれでもAR銃と同じくマシンレストではワンホールにしかなりませんが、諸条件からいろいろな方式の中でプリチャージが最高なのは否定出来ません。性能の優位の理由は、スプリング式のように重たい部品が大きく動かない為振動がないこと、ポンプ式のように都度の圧力にばらつきがないこと、炭酸ガス式のように気温や気圧に由る蒸発率の増減がなく弾速が一定であること、何より一定の圧力が発射に使われる為、機械的安定性がダントツであることが挙げられます。
いざ据銃して射撃となると、ARの倍もある直径の標的にさえ入らない失射も普通に起こしてしまいます。ピストルは隠せるからというよりむしろ不安定で狙いが定まり難いからとして許可を制限する理由があながち出任せではないことが良くわかります。これは片手で持つからだけでなく、目から遠い照門に対し近すぎる照星に対する視点集中性が人間の目の性質からもかなり難しいものであることに原因し、射手はこのことを如何に克服するかで腐心します。引き金も500g以上と重いルールで、タッチするだけで発射するARとは格段となり、引いた時に銃が動くことを計算に入れた上で照準する射撃となります。これをライフルと兼任する形で修練しようというのですから必然的に射撃競技の奥義を極めることになります。AP射手が神に見えるのは別に大袈裟なことではなく、射撃競技の裏も表も、足るも足らぬも呑み込んで神髄を手にした人として尊ぶに値すると感じるからです。
日本界隈では、このようにステージの高いエアピストル射撃ですが、基本的にこれは我々日本人には一般的なISSF(国際射撃連盟・旧UIT)ルールのカテゴリーのひとつです。ここに来る迄の多くの御紹介も凡そその中のものですが、一般に身近な銃器大国アメリカではISSF競技を知っている人は極少数で、これに親しんでいる人はインテリです。上にずらり並んだ如何にも精密な工業製品であるエアピストルもアメリカでお目にかかる機会はほぼ全くと言っていい程ありません。アメリカでエアピストルというと、日本の玩具であるソフトガンに比べるとかなり見劣りする仕上加工のものが一般的で、価格も数十ドル程度と低く、性能はアウトドア用品としてはまあいいだろう程度です。射撃に不可欠な引き金の精度も玩具並でプルは2kg以上に工場設定して調整させず、遊興的な射的にも事欠く虞れがあります。
これらは今だにポンプ式か炭酸ガス式です。理由は現実的なもので、ポンプは回数を増すと重くなり、子供では高い初速を得る圧縮迄漕ぐことが出来ません。炭酸ガスは元々その放出量を抑えてあり気軽に調整出来なくしてある上に金額が張るボンベでは気軽に買い増し乱用出来ないのです。手軽に一定の出力が得られるスプリング式の製造は、歴史的に避けられています。
しかし、これから発射されるのは鉛の弾丸であり、ポンプを一回しか漕げなくても間違って弾に当たろうものなら絶対病院に行かねばならない程度の怪我を負います。
アメリカでは定番ロングセラーのマルチポンプ式です。アメリカにおいては、射撃スポーツは専らピストルから始められ、ライフルやショットガンはロングガン(長モノ)といって子供でも身体が出来て躾の整った年長から許されます。それに至る前の子供達は、銃の重さと構造、その取扱に先ず親しみ、熟達したと「親が」認めたら長モノを使わせて貰えるプロセスが昔から変わっていません。図のような銃器は店頭に於いてまるでそうと感じることが出来ないブリスターパックに入って吊るされているものの、銃器大国でガンマンとして育っていく幼年者には入門であり、憧れでもあるのです。これがちゃんと使えるようになって初めて長い銃器、先ずはエアライフルを撃たせて貰えるというしきたりなのです。欲求不満は折々に物欲を醸し出しますが、大体これらにはアフターマーケット商品「ショルダーストック」が安価に用意されており、こそこそ貯めた小遣いで求めればドライバーひとつでライフルのように肩に構えて撃てるようになるのですが、精度を上げるというより、ライフルへの思いを一時満たしてやるというのが目的のもので、製品の質は決して高くはありません。
最近は高品質のソフトガンも多く見かけますがやはりこれら入門用エアピストルは厳然たる地位を得ています。ソフトガンに対する考えは、当初は安全でも、身の回りのものを壊したり傷を負ったりすることがない性能は後々の危険に繋がるといわれます。少なくとも重く取り回しに不自由な銃器で金属弾を撃たせることで、一度は部屋の壁や家具を傷つけ、時として手指に怪我を負い、また大切なものを壊してしまったりすることで心に傷を残し、銃を危ないものと知らしめる目的が、これらにはあるといいます。
エアピストル競技がスポーツ種目としての整備を請けて広く正統化されたのは、数ある射撃競技の中でも新しいといえます。1970年UIT世界選手権フェニックス大会において初めてラインナップされた背景には、上記のような玩具に準ずる性能のものから精密に印刷された圏的への連続射撃が可能なものが製造されそれなり以上に普及したことがあります。しかしながら弾速は.22口径ショート実包を使用する競技銃の2割程度というもので、主にスプリングピストン式であったため、発射時の特異な反動が弾道に影響し高得点を阻みましたが、戦後オリベッティタイプライターの下請製造者であったドイツ・ファインベルクバウ社が自社のエアライフルに採用していたレバーコッキング・リリースリコイルアクションを搭載したモデル65を発表してから格段に性能を上げ、競技者の満足を得る信頼を確立しました。続いてドイツ・RWSダイアナ社が反動作ピストン式のエアライフルの機構をデフォルメしてブレイクオープンバレルにて採用、ワルサー社はブレイクオープン・ハンドポンプ式で無反動とし、その他液化炭酸ガスを使用するものも現れ、競合機種にも恵まれるようになり、銃器規制の強い国を除いて広く普及していきます。
1990年ごろ迄は、エアライフルと同じようにバネを圧縮したり空気をポンプで漕ぎ入れたりする旧来の方式でしたが、形式や機種ごとに性能は極端な程違いがある(特にロックタイム)上に、共に使用空気量が構造上欲張れないことから弾速も得られず、銃身を精密に作り短くして射出時間を稼いだり重量を増して安定させたりと試行錯誤が長く続きました。90年に入ると徐々に蓄圧タンクを取り付けて一定の圧力の空気を一発分づつ取出して使うプリチャージ式のものが広まり、弾速の面等で優位が感じられ始めると急速に更新されていきます。無許可でこの競技銃を持てる米国や英国等でも、2000年に入った頃には余程のローカル競技会でもない限りスプリング式やポンプ式、炭酸ガス式が使われている様子は見られなくなりましたが、理由はやはり弾速にあります。こうして弾速において有利になったかに見えるエアピストル射撃ですが、やはり装薬実包に比較すると大変遅いものであり、この射撃はその他装薬銃射撃に比較すると一種独特です。より強固な握りと姿勢定位力、安定したフォロースルーがエアピストル競技において高い得点を得ていく上での要素として一層求められます。
なお、幾らエアピストルと謂えど上達の究極のカギといえば、その他ピストルと同様、沢山撃つことに尽きます。引き金ひとつをとっても、さっきはスムースに引き落とせても今は何か引っ掛かるような気がするとか、重く感じたとかと撃発ごとに違う感覚を統一された発射の基礎として築くには、長い銃器より遥かに一体となることを求められる拳銃射撃において多くを経験し、その流れの中で不変の一体感を得ることです。欧米の一流選手は1年に十万発以上を撃ちますが、それは呼吸ごとに変わっていくといっても良い身体の事象を射撃に於いては一定であるべくする方法としてそれが唯一であると、彼らの地位が証明していることです。懐かしいAPを幾つか御紹介です。
ワルサーLP3、ブレイクオープン(レシーバー先端のヒンジで銃身が下がり給弾口が持ち上がる仕掛)のポンプチャージ式。今風な精密射撃には手返しが悪すぎて恐らくポイントに影響するのでしょう。85年頃には全く見かけなくなりました。
ワルサーLP52、これはブレイクオープン乍ら、その際に銃身がポンプハンドルの役割をして一回で充填するというもので、画期的にワンアクション化していて便利なのでハンドライフルに改造されたものもありますが、機構が複雑で手荒に扱うと直ぐ故障すると云うので今はほぼ全く、恐らくAPの侭残っているものは、ありません。
ファインベルクバウM65。世界の名銃、日本では一時のAPはほぼ全部コレ。トリガー部調整箇所を増やしたアップデート版M80と合わせるとUITピストル競技銃としてはベストセラーではないかと思います。向こう側サイドにコッキングレバーがあり、引いて開くと給弾出来、閉じれば発射準備と云うことと、スプリング式なので出力が安定していて信頼性が高いこと、独特のショートリコイル機能でスプリング銃独特の反動を消していることが全体的な扱い易さに繋がり、今でもかなりの数がハンドライフルに改造されて残っています。同じ機構のARよりバネが軽いので壊れ難く、もとよりプリチャージシリンダーに悩まされません。これのハンドライフル改造機はレジャー用としてお勧めです。
ピストル射撃は本来、ライフルやショットガンを用いる射撃に比べ遥かに優位なものと思います。理由としては第一に、銃自体の価格がライフルやショットガンとは比較にならない程安いことが挙げられます。これは単に小さいから安いのです。また、ルール上からも実際にも、装備品が殆ど必要とされないことで付帯費用が一切掛かりません。銃の他は、的と弾さえあればいいのです。これは何れをとっても広く楽しまれるには必要なことです。遠距離射撃こそ不可能であっても、標的を見つめることで自然に全身運動が達成出来る訳ですから、外に出て行なうことが不得手な人でも健康維持に貢献する身近なスポーツである筈ですが、多くの国や地域でこの道具の所有や使用が強く制限されています。残念なことです。
エアガンは長く興味深い過去を持ちますが、この事実は多くの人が知りません。しかしそれは思いがけないことではありません。特に正式なエアピストル競技会はまだ非常に若いスポーツで、初の世界チャンピオンシップは30年ほど前に開催され、1988年に漸くオリンピックのスポーツとして紹介されました。それまでには勝利の後ろから迫りくる緊張、そして最後の瞬間の敗北という、存分に豊かな経歴があります。これは1940年代から今日までの、このスポーツの発達の短い歴史の観察です。
疑いなく、最新のエアピストルの開発は、全世界で戦後のドイツに遅れています。連合国の制裁が適当にされて、ライフルとピストルの大部分の形の製造と所有を制限していた時、ドイツのエンジニアは彼らの注意がそれほど傾注されなかった銃設計の1つの領域に向かいました。それはエアガンです。
ヨーロッパの射撃クラブは今日のカントリークラブと地元のパブの中間に位置する非常に面白い社会的場面です。非公式の遊興的な試合の後、クラブハウスで仲間とビールを飲むことは専ら行われた社交です。射撃競技に篤いヨーロッパ、特にドイツの人々はローカルなライフルとピストル試合の楽しみへの復帰を切望しました、そして、多くの優れた武器デザイナーは人口が多いこれらのために正確さと値段の手ごろさを持ったエアガンを届ける仕事にとりかかったのです。ドイツの空気銃ブランド、ダイアナは、バネピストン式のエアピストルを作り出しました。この種のエアガンの力はレバーを操作して準備するものでした。バネはピストンを押して、空気をシリンダーに圧縮しますが、ダイアナは、部品を少なくする為に銃身にその役割を担わせました。しかし、良質なエアピストルが齎す本当の試合はまだなく、むしろ玩具に近いものでした。もうひとつの完成は、 Feinwerkbau(はっきりしたすばらしい仕事という意味)略してFWBによって齎されます。彼らはエアライフルで成功した独自の機構をピストルにふさわしいサイズに縮小、モデル65を作り出します。バネのピストン力に関する問題は、発砲の瞬間に感じられる極端な「はね返り」で、弾が銃身の中にまだある間この影響が起こるので、巧妙なデザインが為されました。それはスライドするレールで動いているバレルがフレームを移動する構造ですが、結果、長年射手に選択の余地を与えないオンリーワンのエアピストルとなり、ピンポイント精度と信頼性を提供しました。
もう一つの著名なドイツの銃メーカーも、エアガンの方に才能を発揮します。ワルサーは予め空気を溜めるシステムを開発しました。操作する時の力でピストンを動かし空気を圧縮するのです。所謂ポンプ式です。この方法はLP3で導入されました(luftピストルLP - luftはドイツ語の空気)。これの場合は、引き金が引かれ弾が銃身を進む際の微量の運動だけが感じられました。完全な発射反動のみの体感です。この方法では完全にレールシステムとバレルの大きさと重さを料理し、明らかに結構な方式です。しかし、早期のワルサーエアピストルはFWBと同じ信頼性のレベルを備えていませんでしたので、M 65は一方的にこのカテゴリーを支配し続けました。M 65の血統の更なる進展は、予想外の方向から齎されます。1980年代初期に、アメリカの射手 Don Nygord は大いに銃身を短くすることが銃のバランスと不活発な運動環境を改善すると述べます。長さのこの縮小は速さまたは正確さを劣らせなかったのです。 Nygordは、1981年にサントドミンゴで世界チャンピオンシップに勝つためにM65の短銃身仕様を使いました。この試合の彼のパフォーマンスの後、FWBはこの銃身の明らかな長所を見い出し、彼ら自身の改良版に取り入れます。 今日まだ生産され続けているM 65 Mk II。そして電気的な引き金機構が採用されたM 90として発展します。しかしM90は電池が要ること等が嫌われ、短命に終っています。
予め満たす空気を用いる考えでは、二三の異なる方法が発達します。動力行程にトリガーガードの兼用としたレバーを使うアンダーレバーポンプ式として、ワルサーは製品化します。1970年代後期のPowerlineと後のデイジーは、今でもよく好まれる横方向に操作するレバーでスプリンブを圧縮するものを生産しました。典型的な717シリーズの一群です。老若を問わず浸透し、717、747と777は、すべて長いサイトラジアスもち、銃身、外観、グリップと引き金のグレードが番号が上がるごとによりよい機構が備わります。717はエントリーレベルで安価ですが、軽く操作出来るよいものです。誰かが試合でこの銃の能力を疑っても、550+の点数が箱から出したばかりのそれが撃ち取っていることで一蹴されるでしょう。ドミノとエアマッチのようなイタリアのメーカーは、デイジー777より良い人間工学設計で、価格はおよそ3倍という、予め予兆したエアピストル熱狂的ファンのための良い選択となる製品を用意し、それらはビーマンにより米国に輸入されModel 10(後でModel 900とRWS Model 10)とされます。それはすばらしい良質なバレルブレークアクションピストルで、優れたグリップ、引き金と外観を持ち、相似デザインは6M、RWS Modelとして今日なお受け継がれています。
また多くのメーカーは、推進力の方法としてCO2を見い出してます。コッキング動作に力を必要としないこの推進源は、厳しい2時間の試合の中では大きい利点です。CO2マッチピストルに関する特許は、信じられませんが1889年にフランスでポール・ジファールに与えられています。それは「ジファール炭酸ガスピストル」と呼ばれていました。
現代で最初のもののうちの1つはFWB Model 2です。後にワルサーのCP2その他が続きました。ヘンメリーは「シングル」「マスター」モデルで1960年代後期に2つのCO2製品を持ちこみますが、これは当時の玩具のピストルで使われていた、粉末消火器の消化剤押し出し用の使い捨てのカートリッジを使うものでした。ワルサーのモデルは、バランスのためにも考慮された、脱着して補充できるシリンダーを使いますが、これはビールサーバーに使うボンベからガスを移送して使います。これらは更なる利益として重心と銃の照準軸を降ろしましたので、CO2銃は世界中の試合で素早く受け入れられました。1980年代には、多くの他のメーカーがCO2エアピストル販売競争に加わりました。オーストリアのステアー、スイスのモリーニとパドリーニフィオッキ、ドミノとFASからのイタリアの提供品は同様にリングに上がりました。ここでも個人からの革新がエアピストル開発の過程を形づくるのを助けます。その中で、今一度現れるのが Don Nygord です。1991年、彼は銃身の中で蒸発を続けるガスが荒い気流を起こし射出時に弾道を荒らすのを見い出し、補正器を工夫したのです。「ターボComp」といわれるそれは、銃身の蹴り上げも同時に防ぎ、スムースなフォロースルーを齎し、より大きな正確さとピストルの制御に至りました。前述の如く、メーカーはNygordのリードに即時呼応、殆どの製品に採用します。パドリーニ K2、 K60 と K90 CO2、他 K58のような圧縮空気を使うモデルにも用いられ、FWB からは10-CO2と圧縮空気のModel102、ステアーの後に黄金の標準機となるModel LP1C CO2も後に続き、あたかもこれが発展の最終的到達点のように感じる勢いでした。ところが、CO2ガスは温度変動に非常に影響されやすい為、弾に衝撃的な作用を齎すことがあります。競技で高いレベルで争っている競技者は、エアピストルを改善することに関して真剣でもあり、この唯一で強大な欠陥は受け入れがたかったのです。
メーカーは再び彼らの最高のデザイナーを製図板に向かわせ、空気と云う新しい推進力が生まれました。潜水タンクと同様に空気を圧縮して使うのです。液化しない安定した圧力。消費減量による重さの変化は極めて少なく、試合の最初から最後まで体感する変化を齎しません。モリーニは最初のモデル162E1の電子引き金で成功。ヘンメリーは、Model 480でエアピストルレースに再び参入。宇宙時代の複合素材と息をのむようなデザインとスタイルのセンスを利用して、彼らはエアピストル開発競争の最上位につきました。ワルサーも、新しいLP200で同調しました。それは、バレル重量を減じ信じられないほど低い照準軸で圧縮空気の利点を最大限に引出しました。ステアーは新しいLP1CPモデルを製造するために、非常にすばやく圧縮空気の新技術を、すでに優れた評価を受けていた炭酸ガスモデルLP1Cに適応させました。FWBはP30で同様に参入。このピストルは大変快適なグリップを備えています。デザイナー、チェーザレ・モリーニと銃の巨人アンシュッツの間の協調努力はM10を生みます。
そうして一時破竹の勢いを見せたCO2ピストルは、再び玩具のステージへ逆戻りしていきます。現在ではCO2銃など過去のものであると思われるでしょう。しかし、そうでない例もあるのです。並みいる圧縮空気ピストルを押し退けてオリンピックで金メダルを獲得したロベルト・ディドンナは、CO2を使うパドリーニ K2を用いています。
そして、銃自体の迅速な開発とともに、彼らが向かわれる試合も同様に出世しました。
ダイアナ、FWBとワルサーが、ピストルで市場を攻撃したすぐ後、正式な競技が彼らの途方もない正確さと精度を利用するために展開されたのです。まず最初にいろいろな距離でコンテストが行われ、すぐに今日使う10メートルの標準は確かめられました。標的は同様に発達しました、そして、各々の新版で、得点リングはより小さくなりました。
外側の得点リングは16.5センチメートル(6 1/8インチ)の直径を持ちます。10点のリングは、1.15センチメートル(7/16インチ)の直径を持ちます。それは、銃固有のエラーの余地が現在それより多くないからです。10点のリングの内部は、ほんの5.2mmの直径によるより小さなXリングです。このリングを打ち抜き、白を穴のまわりで見えるままにすることは可能です。が、私はその状態を年に二回見る程度です。
若干の大きな変化がこの30年に起こりました。1980年に、UITは男子種目ショットフォーマットを40発から60発に変えました。しかし女性の種目は40発に留めおきました。同年、試射の数が変わります。元々シリーズ毎に最大15の発射を許しましたが、これですべては記録射の最初のショットの前にされなければならなくなったのです。それに伴い試射標的は二枚が提供されるに過ぎなくなりました。現在の規則では、試合が始まる前に、10分の準備時間がありますが、ここは2つのパートに分けられ、 銃を取り扱かえない3分で先ず一般的な器材を用意し、残りの7分は空撃ちを含む銃の準備に使われます。競技時間は二時間から1時間45分に縮まり、その間に試射も含まれるようになりました。X数は、主要得点している構成要素としてはもはや使われません。規定回数の10発のシリーズの後で、それがタイブレークとして使われ、最後に十発の決勝戦を上位8名の選手の射群に課するのです。
10メートルの競技で最高の変化のうちの1つ「決勝(ファイナル)」の出現は1986年です。現在世界中ですべての大きな試合で使われます。その方法は、60発なりの試合が終了していたあと、トップ8人の競技者はその順位に倣い順列を決められ新たな射群に就かねばなりません。一位が一番射台、二位が二番というように並び、10発の決勝を開始します。これには一発75秒の制限時間があります。一発毎に記録され10発目まで数値を与えられます。得点のために最も低い発砲は、ちょうど最も低い価を記録しているリングの外側に触れているペレットによる1.0です。撃たれる最も高い価は10.9です。
現在可能な限りの最大の得点は、10ショット決勝を含む709.0です。それは60発の連続的な十点に続き、10.9点の連続的な10発が続きます。私がこれが決して起こらないことを感じると正直に申し上げますが、それがピストル競技の妙たる所以です。この方法なら、タイブレークを妥当に処理出来ると思うとそれがそうもいかないのです。恐ろしく逼迫したタイが、サードプレイスというファイナルに続く同点決勝サドンデスシュートオフで破られています。0.1点を競うファイナルも、トップレベルの競技に於いては既に追い詰められているのです。
決勝の出現と世界クラス競技で利用される電子得点モニターで、エアピストル射撃は見るスポーツになりましたが、オリンピックのゲームの間、撃つ競技がまったく放送時間を得ないことはスポーツ放送の不正のうちの1つと思われるでしょう。これは、トラックおよびフィールド以外のどんなスポーツよりも多くの国があらゆるオリンピックでより多くのスポーツマンを得た競技なのです。参加者の少ないビーチバレーでさえ4時間の完全な実況中継があったのに、です。
将来、エアピストル競技はどこで進行するでしょう。電子採点標的は完成していますし、PCの普及とインターネットコミュニケーションの驚くべき品質で、故郷はおろか家からさえ出ることなく、それこそ標的に何とか弾を送り込む程度の人から何シリーズも続けて百点を撃ち出すトップシューター迄幾万もの射手が世界的なオンライン試合に参加することができるシステムを予感出来ます。しかし、こうした進展がなくても、確かなひとつが明らかです。エアピストルは、老若男女、仮令立てない人でも、今時のスポーツ用品としては決して高価でないピストルがひとつあれば、火薬や他の力に頼らなくて済み、他にはなにも、向き合う相手さえも要らない、楽しいスポーツだということです。
ピストルは、元々当たらないものです。どんなに命中精度に腐心して作られた良品であっても、人間が片手で突き出して使う以上、最終的な精度は人間そのものが作り出さねばならないのですが、常に標的のセンターリングを掠め取れる人間そのものが存在せず、全シリーズ満射は世界の誰も為し得ていませんし、これから未来に掛けても起こり得ないでしょう。如何にも難しく見える、高速で跳ぶ標的を破砕するクレー射撃であっても、世界に面した大きな試合や、いやローカルでさえ全標的を割るプレイヤーが、時には幾人もあり、シュートオフに持込まれているのに、ピストルは満点でそこに向かうことはないのです。誰も百点満点が取れない試験というものにはなかなか出逢うことはありませんが、これはまさにそれです。上限が満点ではないことは、プレイヤーに遊興心と安堵感を齎し、結果がどうであれ満足に繋がっていきます。