射撃には道具が要ります。
矢弾を射る行いには何れも発射器が必要です。ライフルやショットガンでなくとも、弓も石弓も発射器です。但し、猟銃等は銃器と云って弓の類とは一線を画します。
その区別の大きな要因は、主に発射体の再現性にあると考えます。弓矢は各々が機能性を持つ道具であり、単に矢といっても高価なものは相当な価額です。当然射たまま放置することはなく、回収して再使用しますが、この場合は不要品のリユースではなく、再使用出来ることが機能なのです。ところが銃器の弾丸は、普通射たまま回収されることはなく、回収出来ても再利用の可能性はありません。ライフル弾は潰れ、散弾は散らばって、そのままの姿で再使用しようがないのです。本当の意味で身の回りの品々を愛でる思いを大切にされる人ならば、やはり大切な弾丸を射たまま捨ててしまう等考えられないでしょうから、回収されることが当たり前の弓矢を選びたくなっても仕方ありませんが、矢は相応に弾力に富み、到達の急停止にも耐え得る作りとなっており、其れ故工芸性もあります。その代わり発射速度が遅く、風等外力の影響を強く受ける為、ずばりヒットさせるのは容易ではありません。
銃器は、硬い弾丸も潰れる程の発射速度を期待出来、到達も遠くなります。矢のように先端の刃物の切削力で効果を得るものと違い、弾丸の速度と重量でそれを見い出すものです。使い道は似ていますが、発射速度と滞空速度が共に弓矢と格段に違う為、パンチという面では銃器の方が強そうです。実際それが理由となり、日本では弓矢による狩猟は禁じられていますが、いろいろな材料で手作り可能な弓矢は統制なく随所で生まれ、またそれを用いて統制なく猟されては、結果として乱獲を導くという予測も働いています。
実はその中間を埋めてくれるものがあります。玩具のテッポウの類いです。これはちいさなバネの力で直接セメントや樹脂で出来た粒を突き出すものから、何等かの力で発生させた空気圧等に作用させるもの迄いろいろ考案されており、それらから発射された後の発射体は大抵の場合再使用可能です。弓矢とも銃器ともつかないこれらは適用範囲も自ずと違い、何れよりも大変近い距離で可能性を見出せます。
射撃には継続的な訓練がその技量安定に貢献します。毎日やるということばかりではなく、長年に亘ってそのことを意識し続けたかということも重要です。旅先の山でシカを見かけても、射撃に関わっていない人ではそれがシカである他の意味は風景のひとつでしかないが、射撃を心得た人は、距離や、射獲の可能性もシカに重ねて具象します。シカが銃猟の対象であることを知っているのも重要なことですが、それは射撃を心得ていない人には学問でしかありません。

射撃を狩りにも使うとなると、狩猟の為の免許は二十才からしか下りませんが、狩り等高度なフィールドワークが二十才からこそこそ勉強した程度で一端に成立するとはナカナカ思えないものです。幼い頃から、出入りを許された山野があり、走り回って育っているからこそ山深くに潜む獣の寝床を見出せるようになるものでしょう。こうした経験は早くから積まれていることが重要です。弓矢ならダウンサイズして身体の小さい子供にあわせることも出来ますが、銃器はそれが難しい工業製品ですので、ある時点迄は玩具にそこそこ頼らざるを得ません。玩具とて、仮にも銃器の姿をし、機能もあるものが、ひとたび人に向けられたり、況して発射等されようものなら充分以上のダメージを与えます。「何をするのだこの子供は」」と思われてしまえば、もう存分に痛みを感じさせたことになります。こうした道徳的な部分は、痛みを感じさせられてから、乃ち何等かの報復心を覚えてからでは空論或いは逆効果になりかねず、それこそ早くから、すこしばかり危ない思いをし乍ら知っていくべきものです。ナイフの使い始めにあちこち手傷を負うのと同じですが、免許されるような銃器ではダメージが手傷程度で済まないでしょう。この時点でも、やはり玩具といわれるものに頼るのが得策です。
ことに銃器に就いて、実銃等と称して許可銃を使うに至った人は総じて玩具を顧みなくなる傾向にあります。大人として、自分達を育ててもらった玩具の意味を常に問い、その発展と継続を願うことは、銃を趣味の道具とする現代人に必要と感じます。

射撃をする場所は、弓矢や散弾銃・装薬ライフル銃射撃、はたまた狩猟のように広大な場所が必要なものごとから、学校の教室程度の広さがあれば公式試合迄可能な空気銃・光線銃・ソフト銃の競技があります。そのうち、法的規制を受ける器具による射撃は自由に場所を設置することはできないので、公安から資格を得ている射撃場という場所を利用することになります。こうした器具は、練習や試し撃ちもこうした決められた場所のみでしか出来ません。そこで先程から話している玩具は、結構役立つ練習用器材と成り得る訳です。
射撃に必要な道具は、銃を用いる種目(世界的には弓を用いるものも射撃)の場合先ず第一に銃器が想像されます。しかし、何より大切なのは、銃器ではないと思います。銃器は確かにそれがないと始まらないものなのですが、それだけでは全く不充分なのです。銃器にばかり気を取られていると意外なところで失敗します。世界的にはそうと限らないのですが、日本ではこと、形から入る方が素直に同好の士の好感を得易いのです。
競技射撃種目に就くなら、一例としてライフルの場合銃は空気銃から入ることになります。気軽に等と謂われますが、形となるとそういってもいられません。諸外国、特にライフル射撃が盛んなドイツ等を見ますと、選手活動を始めた人でもそこそこにならない限り余り道具は増えないようです。日本でも昔は当初不必要とされていた射撃用のウェアも、現代では「射手の総数が減った所為で」一般化しており、レンジでは皆決まった身なりをしています。身体を固定する射撃コート・パンツ、専用の設計のシューズは、その場に身を置く制服のような役割になっているだけでなく、習熟や成績も左右します。但しこれはひと揃えで銃程度の価格になるもので、ヘビーゲージのカンバスや皮革で作られる衣装の為一般のテーラーでは縫製出来ず、止むなく専門店に発注することになります。次に持ち道具の運搬に使う鞄の類いですが、長くて重い精密機械である射撃銃を安全に運ぶ為のトランク、数多くの装備をシステマチックに整理して運ぶ機能的なバッグやトランク、嵩の張るウェアを運ぶバッグと、少なくとも3つのラッゲッジをいつも携えなければなりませんが、射撃場は思いのほか狭いので、これらが「扱い難いものだと」散らかり、結果として場所を取り、嫌がられ、財物の紛失も招きます。多くの空気銃の射撃場は市街地にあり、其処への往来時には「厭に大荷物の人が歩く」ことにもなり、纏まりが悪いとバツも悪くなり、恥ずかしいやら面倒臭いやらが重なり結局続かないことに繋がりますから、身なり特に荷回りを整えるのは自分の為にも大切なマナーです。