美的に優れた、世界に冠たるブランド猟銃。
これはロンドンガンの一著名銘柄、ホーランド アンド ホーランド。一挺を最初から最後迄一人の職人というよりむしろアーチストというべきガンメーカーが手掛ける。現在この工房主義を貫く製作工房はここだけになってしまっている。
嘗て西欧のみならず日本でも、獣撃ちの汎用銃というとパラドックスガンを挙げる人が多かった。但しそれはこの銘柄の専売特許のようなもの。余程成功した人でなければ求め得なかった。今でも勿論そうである。
往年の名銃、ロイヤルニトロパラドックスは私の愛銃のひとつ。1931年製の16番。
見ているだけで夜長が明ける、美しい作品。

基本的に散弾銃としての性能はオマケである。銃口のライフルドチョークにより、左右ともインプルーブドシリンダーチョークとして機能するに過ぎないので、遠矢のカモ猟などには全く向かない。本場英国では単体弾を使用して猪や鹿のヘッジロウシューティングや狐狩りで使用される。そのため12番等大口径のものは余り好まれない。トラジェクトリが甲高になって素直に飛ばなくなるからだ。主に16番20番が選ばれたようである。
普通英国の散弾銃は伝統的にイングリッシュといわれるストレートグリップストックをもつ。パラドックス銃は植民圏領地であるアフリカ・インドなどにおいて野獣を撃つ為に作られたダブルライフルの系譜を踏襲する為、ジャーマンストックとも呼ばれるフルピストルグリップが備わるのが普通。グリップ底部には、散弾用ビード照星を収容する為のボックスが備わる。
照星は小さなパートリッジ型で、50ヤードと100ヤードに合わせられた二つのリーフ型照門を持つ。
銃床の内部は大きく刳り貫かれている。単体弾特有の跳ね上がりを重量配分で抑える為に、重心を前に移動させる為、銃身を重くするのではなく、銃床を軽くする為の工夫。散弾銃にもこの加工を施す場合がある。銃床下部の金の蓋がその加工の為の孔を隠すものである。小指の先程の孔から、銃床内部を後ろに向かってかなり大きく刳り貫く凝った加工がされているが、それは床尾板は「ない」のが本来の姿とされているからだ。床尾板を外したら大きな刳り孔があるなどはロンドンガンとしては恥で、床尾には格別美しいチェッカリングが施されている。


パラドックスガンの特徴、ライフルドチョーク。40mm位のライフルが絞りの代わりに備わる。左右は同一で絞り差は与えられない。散弾を放った時は凡そ改良平筒として機能。本国では余興のハト撃ちやパーティで催される庭撃ちという宮殿の階上から放される雉を撃つ競技に使用される。日本の射場でならスキート射撃に比較的向く。トラップ射撃では余りクレーを離さなければそこそこ割る。
主として丸弾を自作して装弾を組み上げる。工場装弾とは殆ど縁がない。
リブに関して、H&Hは独特な設計を見ることができる。同社のオリジナルとも言えるリブで、一旦ブリーチから銃身に沿って大きく窪み、銃口に向かって反り上がり、照星の位置は銃身の中心線と平行にブリーチトップエンドを結ぶ高さに置かれる。パラドクスの場合はダブルライフルにも用いられているバチュープレートがブリーチから照門迄伸ばされているが、これがショットガンなら愈々銃身の円筒の間に深く沈み込んでいったものがライズする形になる。これは途中邪魔ものなくライフル銃のように単体弾のトラジェクトリを見抜く為でもあるが、ブリーチ越しに照星を見て素直にゲームに合わせ振り抜き乍ら発砲すれば当たるというものとする意味もあり、やや照星より飛ばし気味に撃つ他のハンターリブとは違う狙い線を求められるもの。
弾丸を撃つ時は普通のライフルのように撃つ。


サイドロックはほぼワンタッチで工具を使わず取り外せる。これは手入れの為もあるが、機構を眺めて楽しむ為に求められた仕組み。ノブ付のネジを緩めるだけで簡単にアクションは外れる。美しい唐草模様は当然手彫り。コッキングインジケーターには純金を象眼している。他に照星照門にプラチナの象眼が入る。

外国で中古品を探しても数万ドルもするような、このようなものを、私のようなプアーな人間が持っているのには理由がある。
日本では既に16番がほぼ廃れている番径ということもあるが、何より水平二連が受けない。その上所持許可が厳しく、期限の度に更新する手間と金が疎まれる。十年歴というニワカベテランを設定する規則もあり、獣猟をする人は、散弾銃を十年使ったらライフル銃を持たなければならないような気になってしまう。だから、幾ら最高級品でも、このような変わった仕向けの品は、店さえ見向きもしなくなってしまうのだ。多くは遺贈品となってしまい、訳を知らない相続者に廃棄されてしまっている。欧米では腐ってもホーランドで、廃物のアクションプレートでも数千ドルも載せてしまうのに、日本では値が付かないのだ。
そんな訳であぶれさせてしまった人が勿体無いという気持から、この品の値打や存在意義を知る人に持って欲しいと私が選ばれ、あろうことか無償で巡って来たのである。昔、もっと稼いでいた頃、もしやと思いホーランドにパラドックスやダブルライフルの見積を貰って、その額面にいとも簡単に撃沈されたことや、ロンドンガンの話をしていたのを覚えていてくれたのである。

そういう私もいろいろやっては来たものの、すっかり疲れ、お決まりの十年歴を実行したもののたちまち行き付けのライフル射場は閉場し再開の見込みが立たないから猟期外には撃つ当てもない。クレー射撃も一角を望んだが金と時間が掛かり過ぎて十年も鎮まり昨今すっかり罷めた。散弾銃猟にしても昔なら家から一歩出たところから始まったものの、近年は家が建て込み、乱場になっていても音が出る銃は憚られるから全然使い道がなく、猟区の鹿撃ち程度に留まって久しい。役に立つといえば空気銃程度であろうか。いい加減、いろいろある銃が邪魔臭くなって来ているが、一つに纏めてしまう、とするなら、これを第一候補としない訳がない。他は空気銃が片手と長モノ一個づつあれば上出来で、空気銃なら玄関先からでも猟になるし射場も近所である。

射撃に狩猟に、そして銃に、稼ぎの大半を注ぎ込んできた。その癖、いざ残すものとして選ぶのが、幾らオーバーザトップだとしても貰いものではお笑いぐさである。尤もこのような猛烈なお品は、貰えでもしない限り巡り会う可能性さえ無いかも知れないが。

何故にアクションの写真がないのか言われそうなので掲示する。


バネの隙間のプレート部分には製作者の銘が入る


隙間など、全くない。猛烈に高度な技術が窺える。


木材を無駄に刳り貫くことは一切ない。


専ら使用を勧められる火薬とロードの番手目方が記される。


精密に調整されたイジェクターシステム。恐らく此の銃は十万発程度は使用されているが、摩滅の様子は、全くない。良いものとは何か、ここで診ることができる。

このアクションは通常の散弾銃のものと違い、二重の安全装置が組まれている。嘗て何挺かサイドロックを使用して来たが、ここまで凄いのは見たことがない。
2枚のシアーが組み込まれており、もし、安全装置が引き金を固定しているにも関わらず、銃に衝撃が加わってメインシアーが外れても、セフティシアーがブライドルを受け止めて発火に至らないようになっている。それに気付かず安全を外して射撃に掛かった時は結構トリガーが重くなるので何かあったことが分かるのである。また、これも万一だがメインシアーが割れたりして故障してしまっても、不意の発射や同発が起こらないようになっている。同じサイドロックでも安価な、まあこの場合のそれは普通の中型乗用車程度の価格のことを指すが、そういうものではここまでの機構を盛り込むことは出来ないし、完全な手調整による一点ものの部品作りが必要になるので、技量的にもその程度の額の仕事になるのは当然なのだ。確かにこんな幾重にも危険を回避する装備は通常必要性を感じないものだが、この銃が本来使われる環境は我々下々が遊ぶような乱場ではなく、存分な注意を払っても払拭し切れない事故でさえ、大きな国々の首脳或いは国家元首のような、万一起きて巻き込まれれば後の世界の情勢が変わるかも知れない人々が列している可能性もあるので、使用される製品側にはそれなり以上の責任があるのだ。大体、メインシアーにおいてさえ、そんな少々のことで外れるような仕上になっていない上、セフティシアーにまで全く弛みのないこの作り、整備や調整は、困難を極め、普通の技術では触れるものではないが、幸い非常に好調である。不調を来たすと修理に百万円も掛かると言われるこのアクション、手荒な扱いにはことのほかの注意を払わねばならない。


前所有者が私にこれを譲渡というよりむしろ贈与したのには心情的理由があったようだ。
大変交遊の広い前所有者は、勿論私より前に身近な射友に声を掛けているのである。委託保管を受けていた銃砲店も勿論買い求められることを望んでいたようである。イタリア製の高級銃で射撃や狩猟をしているような人たちが興味を示して、その返答待ちの為に数年の時間を費やしたが、そのあと全然行動しようとしなかったというのである。結局16番をどうするか、カモなどを撃つには余りに近射向け過ぎるからとか、挙げ句にはガタがあるから安く直せたら、といったりして全く決着が付かないのに業を煮やしてしまわれたのだ。御当人が譲り受けた時は、なにはともあれ受取って、いろいろ使い道を試されたのであるが、たまたま遠射が多い環境だった上、怖がって業者が誰も手を付けてくれないそのガタの進行を心配し一旦仕舞った。それでも喜びそうな人ということで私を思い出してくれたのである。
チョークががたがたしてる、と最初にお話下さったので、見ていないので確証は持てないから一応パラドクスである期待をして楽しみに許可を待った。ガタは受取って直ぐ気付いたが、元々水平二連はダボが小さくガタは出るものなので、伝統的な直し方があるから、別に修理に出さなくとも問題なく直ぐ治った。しかしこれは銃に使われている鉄が手出しのものでのみ通用するやり方で、安い転炉ものの銃では壞す恐れがあるから普通は避けるのだが、その避けた方法でやると減るばかりになってしまうのだ。伝統工法なら、また孰れガタつくが、また戻せばいいだけなので、ダボは事実上減らない。ダボとカンヌキは硬度を変えられており、がたつく元はダボの方だけになるようわざわざ作ってある。それで三代使ってもまだ将来がある工芸品の価値を醸し出しているのだけれど、知る人は殆ど居ないから、破格で或いは無償で誘われているにも拘わらず汚点とされてしまったようだ。
パラドクスは、装弾を作る人ならテキトウに撃ててテキトウに当てられる面白い銃だが、工場装弾が全盛となり、ライフル銃が安くなった今、魅力はあべこべに負荷になってしまっている。序でに世界的に16番という番手がレアになった今、弾丸迄鋳型から自製することになり、撃つだけの人にはとても遠い存在なのだろう。