:射距離10mについて:
空気銃種目の射距離10mというのは、何を根拠に決まったのでしょう。
CAL.22小口径ライフル競技の射距離は50m、いろ〜んな識者に訊ねたものを纏めると、これは元々ドイツを中心に年少者の徴兵準備教練にこの距離を伏射で撃たせていたことを規準にしていると見て良い模様でした。大口径ライフルは用いる銃や実包の性能如何で如何様にも様子を変えるべきものという見方が一般的でした。軍隊的には合衆国陸軍や海兵隊がやっている200ヤード伏射演習が中くらいの射距離という感じですが、連盟競技としては300mとしています。これらに関しては、有効射程リミットは弾道と紙的を射抜く作用力だけから考えるともっと遠くてもそれなりになんとかなりそうなものを、何とか扱い易い範囲に纏めると腐心した挙句こうなったような気がしないでもありません。
クレー射撃の場合はもっと経験的要素に富んでいて、大体散弾銃で猟鳥を射獲し易い距離が35mくらいというのがあり、その辺りでクレーピジョンを捕らえられる間合いをおいたのがトラップ種目、ラッパチョークの銃で木々の間を掠め飛ぶ鳥を撃つのを模したのがスキート種目ということのようです。空気銃種目は、これら装薬銃を用いる競技に比べ発生は新しいものです。かなり早い時期から屋内競技種目とされ、プレー環境は贅沢なくらい整えられている訳ですが、これは決して空気銃がこの程度でしかまともに当たらないからという理由ではないようでした。
これが起案された62年頃の資料を見ても、既に液化炭酸ガスを用いたり、マルチアクションポンプ銃や、完成されたスプリング銃があり、通販向けに量産された玩具的なものを別としたら相当なレベル迄完成された猟具だったようです。ピストル類等極小型のものとなると、大気を圧縮する装置を載せる場所の都合からそんな贅沢は言えないものの、長い銃を使うなら15mとか、20mというのが視野にあっても良かったと思いますが、装薬銃器の規制が厳格化することを予見した上で、施設を多く設置出来、練習や試合の回数を稼ぐ目的から10mという銃器を用いる割に中途半端な距離を設定した向きが強いように聞きました。
しかし、何かその程度ではないような気がしていたのです。10mという長さは、他のいろいろなものごとに当て嵌めても結構中途半端なのです。例えば船でいうなら、10mという長さの船は扱い難いことこの上なく、少し短い8m前後か、出来れば12mのもののほうが有効範囲は広がるし効率が良いです。自動車でも似たようなものです。空気銃の射距離10mというのもまさしく、扱い難い距離そのもので、強い銃では弾道が安定する遙か手前だし、弱い銃では命中自体が運任せになります。それを知っているアメリカライフル協会の種目には25ft(7.5m)という射距離の競技を設定していますが、逆に強い銃を使うシルエット標的競技には25ydを与えており、こちらのほうが歴史は長いようです。
UITがそれを敢えて10mにした裏には、どうやら「専用の競技銃を開発すること」という業界への圧力のようなものがあったように感じてなりません。当時はまだ欧州は日本同様戦後の様相で、放っておけばそれこそアメリカとソビエトに呑み込まれる危険さえあったのですが、運動競技のカテゴリ作りではオリンピックという土壌を頂点に持っている強みをどうにか行使する狙いもあったのでは、と、訝しく思わざるを得ません。10m競技ライフル銃で20mの距離を狙うと、まあ何とか纏まる、という感じにはもっていけます。ところが30mになると命中そのものが運次第です。ピストルになるとさらに顕著で、15mでもうバラバラばらまく感じになってしまいます。どちらも、弾道は真後ろか真ん前からなら明るければ肉眼で見えるのですが、これがどちらも丁度10mで美味しくなる弧を描いています。この10mを味わえる性能を作り出すというのがUIT空気銃競技のキモで、多分相当煮詰まった10年程度を経験したのではないかと憶測します。
銃というものはいざ作り出すと、如何に強く速く遠くへ正確にという方向でなら幾らでも欲が働くようです。そこに10mという条件を突き付けられたのだから作り手は堪らなかったと見えます。景気のいい70年代前半程度迄は何とか付き合って来た幾つかの有名ブランドもその後撤退していますし、そもそもアメリカのブランドは頭から相手にしないという姿勢しか感じられませんでした。80年代に入ると、そうして逃げたり焦げ付かなかった3つ程のブランドの独占市場になる(ピストルでは一社独占状態)ことを許してしまったのですが、これは致し方ないところでもあります。如何せん空気銃は大気を圧縮して使うというプロセスの段階で、銃器業界が経験したことがない精密装置を開発することを要求される訳です。ところが古くからそれに熟達したアメリカの3大ブランドは、出来ていることを改訂するだけで済むにも関わらず最初から迎合しなかった訳で、何もUITを無視したのではなく、そのほうが身の為だと判断した模様です。
このことについて昔ガンショウで誰でも知っている空気銃の大メーカーの古株に訊ねる機会がありました。当時彼らはアメリカで空気銃射撃競技を主導する立場にあるも、UIT競技は導入していなかったのですが、答えるに曰く、何処からが遊びで何処からが本気なのか、良く考えて貰いたいというのです。
10mとはいえ、それしか使用しない専用の距離とするなら、銃の性能特に弾道に関しては、10mで最良のトラジェクトリを作り出さなければならないことになります。彼らは25mとか、50mとかではそれまで充分研究して来た積もりだそうです。もっと伸ばすことは容易いが、人間が作動させる空気圧縮準備がそれを容易にしないといいます。ところがそれを10mでしろと言われると、アメリカにはそれを受け入れる土壌がなかったそうです。アメリカでのこの手の軽便銃器の専らの用途はプリンキング、乃ち遊びの射的でした。これには長く装薬銃メーカーとの競合があったそうです。装薬銃メーカーは、.22口径の薬莢を切り詰め、丸玉を雷管の爆発力だけで押し出すBBという小さな実包でその楽しみを満足させるサプライをしていました。空気銃は、長くそれに割って入っていかなければならない環境に居たのです。.22口径BB実包でお部屋で射的を始めても、同じ銃で装薬をもつ少し長い.22ショート実包で裏庭射的が出来、さらに強い装薬の.22ロングや、ロングライフル実包も使えると来れば、生来1銃でよしと思わせることも容易いのですが、それに比べると空気銃は、玩具的なそれから、性能のいいそれへと買い替えて貰えるかどうかというところで、消費者は考え込んでしまう実情があり、結果としてそれらを飛び越えて大口径実包へ飛び去っていってましたから、そこへ幾らオリンピックも目指せますとばかりにUIT競技銃を開発して、本番レベルの性能を高額で与えたところで一体誰がそれを手にしてくれるだろうかと言うのです。当時でも、600ドルもするドイツ製の競技銃はアメリカでも販売されていましたが、アメリカ製の空気銃は7ドルから求め得たのです。勿論出来は芸術品と玩具程の違いはあるのですが、タマが出るという機能は変わりません。アメリカ人は既に経済的に出来上がり切っていて消費には大層シビアでしたから、子供の玩具にそんな高値を払えるか!と考えるのは明らかでした。選手を培養することをファミリーの楽しみにするなら、最初から高いドイツのを買えばいいという割り切りは醸成されていました。この厳しさは、全く銃規制がないといってもいい程のアメリカなればこそと感じましたし、10mには商品価値が殆どないと見切った方がアメリカ的なのだとも思いました。
その様子が変わったように感じたのは84年のロサンゼルス大会の後ですが、既にアメリカは10mカテゴリでは完全に出遅れていたのはいうまでもないでしょう。逆に日本はこの10mを大歓迎した地域の代表格かと思います。言い出しっぺであること以上に、ひところは、空気銃規制にめげず残存した国内メーカーの幾つかが高性能の競技銃を提供し、東京大会以降はそこここに官立私立問わず10m射撃場が現れました。銃規制の隙間を縫って銃を射撃場で貸して撃たせるという商売も目立ち、ボウリングや卓球に並んで庶民のスポーツになるかもしれないという期待も持たせたものです。これは10という数字が日本的に切りがいいという民族性もあったでしょうが、20m位の見通しの裏庭に不自由しないアメリカ人と違い、日本人にとって10mは結構夢のある距離だったというのもありかと思います。競技で達する等別にしても、射撃場に行けば、10mという何もない彼方に黒い点となった的に会える希望が後押しをしたんだと思います。重ねて、当時散弾銃を撃とうにも、一発当たりラーメン一杯と云われた高額な装弾を大量消費するクレー射撃は一部のお金持ちのものでしたし、大体法律で持てないと云うものを、品行方正なら空気銃という形ででも手にすることが出来、それを背負って射撃場なるフィールドへスポーツをしに行けるとなると、歓びも大きくなるものでしょう。結果としてアメリカでは相手にして貰えなかったドイツの高級競技銃が飛ぶように売れる土壌が出来上がったのだと思います。
射距離10mは、日本人にとっては初めて標的とまみえる基本的な距離です。仮令空気銃の所持許可を得ても、法律でアメリカのようなそこここでの遊びの射的は認められておらず、射撃場に出向いて発砲するしか手がありませんから、それを云々いう材料を持ち合わせていません。このことが、この気難しい中途半端な、あの銃器大国さえ長く二の足を踏んだ距離を当たり前にした要素でしょう。
でも既にそこには、免許等無用のビーム標的を見い出します。曾て気軽に入って遊んだ貸し銃の射撃場は法改正で皆無となりましたが、果してその代わりになることが出来るでしょうか。
光線銃は、センサーが有効に確認出来る距離であればその長短は問われません。しかしそれには弾道という銃器独特の3次元軌跡がない、文字通り光の直線で命中点を指し示すだけです。射撃が銃器を使うスポーツである以上、弾道に苛まれ研究することは要素の一つです。それが全くないということは、その後に幾ら完成された射撃専用銃を以てしても折角培った技量はかなり後戻りを余儀なくされるものです。同時に設備は大袈裟な電子機器となり、家庭的レベルで装備するのがかなり困難なだけでなく、期待されうる施設へもその価格と保守の難度故浸透させることは難しいでしょう。そうした見地から、これは銃器と似た取扱いではあるものの、別のものと了解しておく必要はあると感じます。10mも、案外奥が深いものです。