射撃考

= 日本人と射撃 =

日本は世界でもトップレベルの緻密な銃器取締を行なう希有な国ですが、あべこべに、世界でもトップレベルの銃器に対する柔軟な意識を持つ国であり民族だと思います。
射撃をしたければ日本人に生まれたことを喜んだ方がいいです。
そういわれてもぴんとこない、そんなことはない、と仰る向きに一例を添えますと、アメリカ合衆国は広いですが、その中で、空き地や庭で自由に何等かの銃器を発砲してよい、という地域や都市は、ありません。同じく何等かの銃器を自由に携行して良い、というところもありません。
合衆国の都会の住宅地の前庭などで、エアソフトガンを「乱射」ではなくちゃんと標的と防護網をした上で射撃練習をしていたりすると、多くの場合は逮捕され、罰金乃至は禁固の刑を貰います。むき出しのそれらを持って歩く等以ての他なのです。ところが、それは日本に於ては玩具です。街路を子供達が誇らしげに持ち歩いている姿を、地元の基地に所属する米兵が見ると驚きます。技官ではない屈強な兵士であるにも関わらずその程度でおろおろしてしまうのです。テロリズムさえ感じる、というのですが、我々には、子供が玩具を持って歩いているだけにしか見えません。だから、唇を蒼くして、鳥肌を立て乍ら必死にその不当性を論じる彼らのいっていることが、囈言か何かにしか聞こえないのです。
さらに、何処で撃つのか、と聞かれて、ソコラヘンだよ、としか答えられないとしますともう大変です。追っていって、撃ったらとっちめる、親を呼んで叱る、と聞かなかったりするのです。
そんなナーバスな彼らも、退役してこちらに住み着いたらすっかり様変わりしています。これなら面倒はないし何処ででも撃てる、玩具屋で売っている、ネットで幾らでも買える、と、あべこべに上機嫌になってしまうのです。

日本人は何でもかんでも玩具にしつらえてしまうことができる不思議な民族です。ホンモノそっくりのものをつくっても、これは玩具だといってのけ、またそれを受け入れてしまえるのです。だからエアソフトガンを人に向けて撃って遊んでいても抵抗を感じないでただ見ていられます。それどころか、良い歳をして玩具で盛り上がっていると蔑んでみたり出来るのです。諸国では、こんな行為は捕まらない迄も厳重な注意を受けるし、道具を没収されたりすることなのですが、日本人はへっちゃらなのです。

逆に日本人は、銃器はその辺にごろごろしているものではない、という安心感を持っている人が殆どです。法的に厳しいからではないようで、単に見かけない、という経験的なところから来ていると考えられます。その証拠に、山村で狩猟家が集まって銃をはだかにし、いざ出猟と準備しているのを見てもまるっきり気にも留めないでいられるのです。この辺では当たり前に猟をしているから、というのが理由です。逆説にもとれますが、それで今迄何も起きていないから、それでいいんだ、という感覚を持っている訳だということです。
銃なんて危ない、といっている人を、ソフトガンでの射的に誘って少し教えると、あにはからんや、夢中になってくれるのが通例です。危ないというのは恐らく触ったこともないし見たこともないから一応そういう知識にしとこうという打算のようです。18才未満には売りませんといわれてそういうものが買えない頃から真正の競技銃で射撃をしていた私にとっては本当の意味で玩具的性能しかないそれの性能を素直に受け入れて圏的に集中していきます。挙句の果てに玩具なのに狙った辺りにちゃんと当たるんですねと云って下さいます。もっと練習したらもっと当たりそう、と、可能性迄感じて下さることもあります。それでも私には、5mで1cmも集弾がばらつくなんていうのはがっかりな性能で、やっぱり玩具はこんなものだね程度なのですが、世の中では圧倒的にこれが隆盛であり、標準でもあるのです。

こういう柔和な地盤があるのですから、日本人は幸せです。思い立ったその日にそうしたものを求めて来て、うちの中でも庭でも何処でも、紙箱を工夫して弾を受け止めるものをつくって圏的を付けて狙ってみれば良いのです。R18の品であっても、大人の指導の元でなら子供にも試させることは出来ます。それで充分射撃は成立していますし、上達する為の満点の環境を手に入れてしまっているのです。

= 理想論の功罪 =

射撃には、相手は要りません。
テニスやバトミントン、卓球にしてもそうですが、相手が居なければそもそも成り立ちません。完全な個人スポーツとして思い出しがちなボウリングやゴルフは、身軽ですが壮大な装置や敷地が必要で、広く一般的に見えるのですが社会ストレスは大きいのです。幾らか昔に、経済破綻でそうしたものが世の中の有り金を吸い尽したのを経験したばかりですから、記憶には新しいと思います。
射撃に必要なものといえば、ライフルやピストルなら銃と標的だけです。弓矢のような長い距離も必要としないで出来る銃種もありますし、幅も場所もそれほど取りません。器材の費用も驚く程のものではないでしょう。
許可や資格も必要ないものだって、前述の通りある訳です。それでも、射撃から得られるフィジカルな効果は、正直云って変わりません。テクニカルな部分に就いては、そのカテゴリごとに変わって来ますから、深入りしたければ頑張れば良いだけ。それは何をやっても同じでしょう。
では、何故それほど迄に広まらないのでしょうか。
エアソフトガンは着実に毎日のように玩具店や雑貨店の店頭から求められています。規制が強められても、新たに銃の許可を受ける人は日々確実にいます。でも、それらは凡そ「収納されるだけ」に留まりがちです。

考えますが、一つに我々日本人のもつ、オリンピック至上主義のような考えが邪魔しているのでは?。

銃器大国であり、世界の銃器メーカーの屋台骨を支える売上を担う合衆国は、従前の通り案外銃の存在や取扱に関しておおらかさを知らない社会性を持っています。でも、スポーツ射撃はとても盛んです。その中身を少し垣間見ると、気難しいISSFの競技種目に拠らず、独自の、気軽さと続け易さを求めた方法を身に付けているように思います。それは、オリンピックに見る競技に親しんだ者からすれば、直ぐに飽きが来そうな程、実際それなりに達成し易いようにしてあります。でも彼らは飽かず騒がず、楽しそうに続けますし、子女にも伝えていっています。

日本人には規制の関係で一番身近なエアライフル射撃のオリンピックのリザルドを見て、やあ599点か、そうかそうか、と、それを記憶してしまう日本人。では、それでいざ空気銃を買って(まあそれなりに苦労して許可を得て)、始めてみると、これのまあ当たらないこと夥しい。先ず60発という規定の数を撃ち切ることが困難です。無理矢理時間をのして迄も何とかやり切って数えてみると、まあ大体始めてから三万発くらい迄は三百点取れれば御の字です。それでもまだ、しつこく599点を記憶しているのですからお目出度い話です。大勢を見た経験から、立射60発競技で500点というと、初段という位に近付きますが、未経験からここに至るには凡そ三年、発射弾数にして10万発程度必要かと思います。勿論自分の研究の前に、きちんとした形で撃ち方を習わなければ空回りの10万発で終ってしまうもんですから、自然にそうなれる訳ではありません。
簡単に三年で10万発といいますが、週に2回の射撃場通いの度に300発以上撃ってこいということですので、並大抵の努力ではありません。その上先輩を見つけて習えと云うのだから大変なことです。ですが習う機会を得て経験すると、命中させるというより、そのようにしていこうと考えることが出来るようになっていきます。不思議です。同時に射撃回数は持久力と射撃に用いる筋力を鍛え、視力を落ち着かせていきます。当初は的を十発も狙っていると段々滲んで来たり暗く感じたりするものですが、段々に安定して照星を見ていけるように纏まっていくのです。
そういう経験を重ねても、500点はそれ程遠いのですが、それがなければ500点は身に着きません。
そこから上は、もう研鑽以外ありません。誰に習ってもだめ。自分で作り上げていく唯一の技量が支えです。そのあたりからは、一寸気を抜くとたちまち50点も降下してしまい、自分の最高記録さえも夢の点数になってしまうでしょう。
少し上を目指して四段570点のことを付け加えるなら、そのペースで10年やって頂かなければ成否は見えて来ないでしょう。

合衆国の射撃愛好家の多くは、我々に身近なオリンピックな競技を知りません。知っていてもやろうとはしません。それは、気を抜けないことに懸念を感じているからです。
いつ試しても自分が積み上げたことが発揮出来る、自分の位置を同じに保て、いろいろな面から見て長く同じことを繰り返すことが出来る。そうした方法を彼らは歴史の中から見い出して、競技として打ち立てています。
尤も、彼らにとってオリンピックは海の向こうで現れた総合体育大会で、射撃家という立場では受け入れ難い一面も持ち合わせているのでしょう。そういう点で云えば、我々日本人も同じと言えます。

多くの人が一生掛かっても辿り着けない590何点を目指す。それもただ覚えたというだけで。
愚の骨頂とはこういうことをいうのです。
スポーツが誰の為にあるのかは明らかです。自分の為なのです。だから自分が今打ち立てた結果だけを見れば良いのです。最初はどんなだったが、どれだけ掛かってこうなった。そうなら、それを取り敢えず守る目標とすれば良いだけです。本来、それが理想のスポーツの姿です。

上ばっかり目指して、上の得点だけが果たして偉いと言えるでしょうか。もしあなたが誰かに指導されるとします。その指導者は必ずやあなたより高得点を常に打ち立てるでしょうか。そうでなければならないのでしょうか。
そういう考えは、そもそも阿呆らしいといえるでしょう。
必要で鑑みるべきはその後の効果です。自分より得点は常に低い人であっても、長く経験し深く考え、それを元に指導されるものなのです。結果としてあなたが壁を越えられたら、また、成績を伸ばせたら、その人は良い師であるということになりはしませんか。

導かれるのはオリンピックのリザルドでも、基その競技として採用されているかではなく、自分の今の成果そのものにでなければ意味はありません。
それがやり易いのが射撃です。いろいろな種目があり、経済力や余暇の多少に合わせて選び易く、長く取り組む価値が見出せます。
相手が要らないというのは、そういう意味でも強みになる筈です。

= 射撃をプレイするということ =

射撃の1ゲームは、人生の現役期間に似ています。始めの一射は不満でも、終盤迄改善の努力をする、あるいは、始めはとてもよい感触だが、途中に浮き沈みがある、など。ただ、どんな場合でも、集中を欠かず、以前の的失によらず、次の一射に最善を尽して最後迄つとめあげること。
敢えて生涯に似ていると云わないのには、やり直しが利くからに尽きます。改めて次の採点に向けて鋭意訓練に努め、弱点を捜し出し、克服出来ない迄もそれを全面に出さない方法を研究することは出来、次回少しでもその成果を出せれば、前より1点を稼ぐか、或いは始めの1発目を満足に射抜くことが出来るようになるでしょう。
射撃は、装填して的を射るという、単純動作の繰り返しに過ぎません。それでスポーツとして成立する上、道として迄追求されるのは何故という疑問には、トライして頂ければ分かるとしか申しようがありません。
これは、年令を重ねてからでもそれなりに精進出来るスポーツです。一般的な、球技や体操に比べて、フィジカルに鍛練する部分が少なく、必要なのは行う種目に合わせた筋力と反射能力、定位性の向上の為ひたすら射撃することと、実包や弾丸、銃の調整の研究活動です。ただ、これらは大変広範に及び、技術的側面から見れば職能的な上達も必要な部分がある為、高齢から何の予備知識もない状態ではじめても、体験を積み重ねているだけに留まるでしょう。こうした、将来的経緯も考慮するなら、こと「発射すること」について、成る可く早く、出来れば文字を習得する前位には、標的を捕捉して発射出来る技能は得ておかねばならないと感じます。それには装填・据銃という一連の動作も含まれ、同時に標的の周辺のみそれを向けられることも、発射の直前迄引金に触れてはならないことも、知らねばなりませんが、教われば総てそのままに再現出来る為には、外から銃が興味で入って来る前でなければならないのです。識字する前というのは、そういう理由からなのです。その後はありとあらゆる印刷物や映像から銃器を知ることが出来ますが、字を覚えてからのその情報群は、凡そ銃が持つ特定の方向への強力さばかりを印象たらしめます。銃器は単一では危険なものにはなり得ません。不用意な発射は、自らにとっても貴重な財物の破損を来し、身近な人や生き物を傷つけることになります。この不用意は、得てして意欲的に行われることがありますが、それは多くの場合、銃のもつ強い一面を濃く記憶したことから起こります。これを持ち続けている場合、射撃競技にはかなり難しいブレーキとなることが常々見られ、いつも残念に思います。
射撃界にいる人にとって、銃は単なるスポーツの為に用意し使う道具に過ぎません。それは今はスポーツになっている銃猟に向き合う場合も同じです。それが格好良いとか、それから発射される某かが将来の益得を齎すことではなく、今それがなされるべきである為にそれがあるのです。それを持って戦って勝てばその後の生活が向上するとか、撃ち獲って得たものが金銭を齎すとか先のことではなく、今得点として計上されるかどうかに集中して理解されるべき道具なのです。それをリズムに追われて弾みで撃った為に狙うべき得点に至らない等はあってはならないことですし、うっかり撃発してしまって得点の機会を逃したり、ペナルティをとられたりすることも、あるべきではありません。命中を命中として、失中を失中として理解し、次の発射に活かす為に必要な意識は、習慣として銃がある中から得られるものであり、あとから何たるかを述べられ列ねられて覚えても、根底にあるものがよこしまであっては、必ずそれに本来あるべき特質が挫かれていきます。
あとから銃を手にする場合、これは興味であることは望ましくありません。そうである限り、習熟に遠回りを余儀なくされます。理想は持たされること、撃たされることですが、残念乍ら大抵の入口はそうではありません。だから、誰彼なくこの場合は、大きな弱点を背負っていることになります。識字以前に射撃を会得した人は、根本にこの弱点はないことになりますが、それと同じことは、させられることでしょう。そうでない人は、先ずさせられる位の所迄傾注することです。誰でも遅く始めた人は、何年もの間、こんなもんだろう、この程度でも仕方ないだろうという甘えの中で、発射と云う一種の快楽の為に射撃を続けてしまいます。しかしそれでは人生の中で有用な体力精神力の一時期を著しく消費してしまうのです。如何なる射撃種目においても得点を足していくのは生半可ではなり得ません。体の美味しい時期を無駄な所労に費やすことは、困難なそれを研究出来ない足枷を買っているようなものです。一時期、無理にでも入れ込むことで、甘えや雑念は厭でも失われていきます。特に銃が持つ珍妙な魅力等はそのことで抹消出来る筈です。出来れば銃を見るのも厭になれることが理想で、むしろそれからが始まりでしょう。
人生の、特に職業において、魅力や憧れから入ったそれであったとしても、やがて倦怠する時期が来るのを誰もが経験するものです。しかし、職業に於いてはそう容易く違うものへと移っていくことが出来ません。厭でも、いや、厭だからこそ、本質を見極め、またそれが時勢に適していないなら適するようにしむける努力をし、次に繋げていくから暮らしがあり、今があるものです。射撃が人生に似ているというのはそういう意味でです。
そうして半ば嫌気が注す中で続けていくことは、新たな発見と、対策を紡ぎ出す時間を手に入れていくことに繋がっていきます。いつも表れる微少なミスの原因は百通りもあるものですが、シリーズやラウンドを追うごとに特定の原因がミスを生んでいることを見出せるようになれば上級者の仲間入りです。欲張るなら、幼い、碌に訳も分からないうちに厭な思いをしておくことが出来れば幸いですが、それが叶わなかったとしても悔いる必要はありません。悔いを持とうにも理由そのものがないからです。その成長過程にはその人の環境に射撃がなかっただけなので、悔いても仕方ないと言えますが、その代わり、精進に邁進する歓びがある筈です。

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私は射撃をします。的を射るものも鳥獣を射るものも、ここでは纏めて射撃と云うことにします。普通後者は狩猟と云うように思えますが、私の場合は網や罠を置いて掛かるのを待つ猟法を手段としておらず、猟銃を用いて狙線に掛かるもののみを獲物としているに過ぎず、また、そのやり方は現代では生計の一助を為すものではありません。そういう訳で、ひっくりめてシューティング、つまり射撃としています。
人に射撃と話すと、大抵は「免許されるべき銃器」を使って「競技」の現場に身を投じていると思われます。しかしながら個人的には、本来射撃はそういうものではないと考えています。
私の射撃の道程を簡単にお話ししましょう。

私が射撃に傾注した時期は5〜6才頃だったと思います。まあ男の子だったので、他にも船だとか飛行機だとか、自動車だとか、時計とか写真機とか、その他いろいろな生活資材・業務器材にも興味があるのは普通の姿なので、敢えて云うなら傾注なのです。身近にそういうことをしている人と近しくできる環境ではなかったので、射撃に使う道具に類するものは所謂「銀玉鉄砲」玩具屋で安価に求められるそれだったのですが、幾つかそれを求めて使ううち、「特徴」が気になるようになったのです。姿形からくる取扱いの難易は勿論ですが、弾着という共通の目的機能が個々に違い、形が扱い易くても、設計上の狙点と着弾が大きく違うものと、扱い難くても狙点が素直なものがあることに気付きました。そのどちらもが案外得難く、優劣を与え難く、えらく困りました。そこで諦めて他に興味を振り向けるなら「普通の」男の子の行動だったのでしょうが、私は諦め切れませんでした。その不都合な両方を都合良く感じる為に、夥しい「射撃回数」をもつうち、癖が理解出来るようになって来ました。これは光明で、今でも「目覚める感覚」として覚えています。その直後、もっと安定して中るものはないかと欲が出て、銀玉鉄砲は短いピストルだから安定性が望めないと思い、長いものはどうかと探しましたが、子供にはなかなか高額なものでしたので、手許に貯まる小銭を集める時間を使って求めたそれは、中る性能は申し分ないものの、今度は時として善し悪しを齎すようになります。申し分ないというのは、それを何かに寄りかけて発射すれば凡そ同じような場所に中ることで、ところが身体だけで支えると、纏まって中る時と、全然中らなくなる時が各々ハッキリ現れるものだったのです。それを何とかしようと練習することを思い立ち、結構やりましたが、それがなかなか、満足出来るようにはなりません。
4才からバイオリンを弾いていましたが、こっちは弾けば弾く程何とかなっていったのです。その経験が邪道を後押ししたようです。楽器なら自分が今何をしているかは音で分かり、思いと違えば直そうとし、直ぐまた音に現れるので実に明瞭なのです。ところが、射撃はそうはいきませんでした。自分の癖から抜けられないのです。
前進には年月が必要になりました。射撃クラブなるものを銃砲店主から紹介されたので問い合わせてみると、来いと誘ってくれたので出向きましたら、いや小学生は一寸、ということです。何でもそこでは免許の要る銃器だけが使われていて、それに従うように年齢制限が、そうする積もりはなくとも結果的に設けられたような形になっているという不思議なものでした。そこでは私のそれは玩具でしかなかったようですが、誘ってくれたお兄さんは親切に、幾つかを指南してくれました。でもそれはとてもよかったのです。楽器と違って射撃は、撃って中ったその経過は自分ではさっぱり分からない。お兄さんが教えてくれた幾つかはまさしくそれで、教わった通り注意してやると、良否は表れるものの、こうだったから良かった、悪かったと自分でも分かる基本だったのです。それが切っ掛けで、そのクラブだけでなく、そこに出入りする他の集まりも時折見せてもらううち、それなりに年月が消費され、許可が貰えるようになりました。中学2年目の頃でしたが、生憎転居が重なり、御世話になった皆様にはお別れし、新しい土地で模索すると、話を聞いてくれた銃砲店主がクラブの関係者に繋いでくれて、あれこれの推薦を尽してくれ、仲間にして貰えたのです。
最初の持ち道具になったのはジュニアサイズのスプリング銃でした。低年齢の私はそれを持って帰宅することは出来ず、射撃場のロッカーに指導員の監督の上収納しておくという規制付きで使えることになっていました。家では昔買ったその玩具が練習に役立ったのです。
そのあたりで気付いたことは、射撃はそもそも他の収益作業と同じで、それを行なう時の姿勢がそれ向きである必要から、自然にその姿をとれるようにならねば、ただタマを込めて引き金を引いている単純動作に過ぎず、またその姿勢を学び得るのに道具は関係ないことでした。私は大体それに着手した年齢が幼く、継続が必然を生み理想に近かったようで、クラブのほうには「なかなか使える」と重宝され、その後5年ばかりはいろいろと、当時としてはいい思い、何等かの優先権のようなものを提供され続け、云われるまま去れるが侭の射撃は面白く、調子づいていたものの、学生という子供の特権の肩書きを外した時期に様子は変わりました。社会的責任と与えられた優位性、自分の中での優先権を前者とせねばならなくなった時、射撃への事由を行使出来ず、一時離れざるを得なくなりました。
趣味と云う言葉を使うとするならば、恐らくそういう時からであるべきです。子供の頃は学校から課される学業以外を全て趣味と云ってあれこれやる訳ですが、皆勉学の一つでしかなく、それこそが与えられた優位性で、その数ある中から社会の中で行使しうる自分にとっての何かを趣味として位置付けられる、大人の特権としてその使い方を覚える機会です。
問題はそのタイミングです。私の、離れた一時は、1年に満たない短期間でした。が、大人とされてからのそれまでの射撃はそれを致命的なものとしました。射撃競技の殆どのカテゴリーは多くの推薦を受けねば実行する地位を得られません。その条件として先ず連綿とした実行と実績が求められますが、1年はお休み期間として長過ぎたようで、私に齎されたものは全て期限切れ、空気銃と散弾銃を除く全てが「返納」という名の没収を誘いました。その頃の私には、手許に残った空気銃と散弾銃など「親方日の丸」という後ろ楯からしてみれば玩具以下のただの道具に成り下がっても居ましたので落胆の度は筆し難く、一時等罷めようと思った程で、趣味への道程も遠退いたのですが、別の方向、その頃のアマチュア無線のラグチュー仲間であった静岡のヨット乗りが実は射撃にも達していたことから、空中線を通じて「狩猟」を奨められたことが、今の自分の射撃の形への入口になったような気がします。
案外、俺々でやっているような趣味でも、多くの人力が加えられ形を見せるものです。人の意見に耳を貸すことは、ともすれば相手を選びがちになりますが、見えている一面だけではその人の深さは分かりません。ヨットで付き合った人とお互い射撃家であることを知らずに居たのですから、全く何が救いになるかは知れたものではなく、導きには運命を感じます。
そうして現在の私の射撃があります。

ここは、あくまで私の射撃経験による銃器と射撃の考察です。異論は御控え下さいませ。