とーはつさん

借金の返済の為等、いろいろな理由で、愛する『らんどろーばー』たちが次々と、いなくなりました。不況のあおりをマトモに受けて正直ヘロヘロってのですよ早い話が。

それでも、ものさびしいのでおもちゃをさがしていたところ、ネットフリマでトーハツの古いオートバイを見つけました。それがこのおしなです。昭和29年、1954年生まれの車です。丁度五十年が経過した、老兵。貧しくも一生懸命生きた時代の人々の夢の遺産。人々はこれに毎日の稼ぎを託して走った、命がけの形骸を時代の侭に留める歴史の生き証人。こんなの、どこの博物館でもお目にかかったことはありません。
遥々姫路から陸送してきました。2004年8月末の出来事です。

当初は、一応動くことに間違いはありませんでしたが、碌に走りませんでした。元のオーナーのいう、「まあ、取り敢えずヌゥ〜ッと動く」の通りでした。その後、かれこれ、4ヶ月近く、あれこれやりました。全く資料も部品もありません。あたりまえですなあ。トーハツは東京オリンピックの年にハレヤカに消滅致しましたからね。巻き添え倒産が結構あったようで、事件として記憶する人も多いのです。

ちょっと調整しては走り、すると焼き付く。そんなこんなを繰返しました。焼き付いたって軽いオートバイです。後ろに見えるポンコツの私のトラックがありさえすればおっかなくなんかありません。押しタッテ動きます。飽きず嘆かず、対応しました。エンジンのオーバーホールも調整も、何度行ったか知れません。配線は、サッッパリいうことを聞かないので当初のうちにバッテリ不要型に改造しておりました。バッテリーが要らないということは結構なことです。

この年代の、ガイコクの製品は、結構現存しています。割高な「輸入車」ということもあるし、日本にはないバックグランドをもった「旧車オタキズム」が諸外国にあり、愛好家の多いBSA等は部品のレプリカをする人も活動していますから、その恩恵に与れます。しかし、「日本車」は今や世界の供給の殆どを賄う巨大なシェアをもつ業態から輩出されているものの、当時はなんとかかんとかメシを喰う有様で、これしか買えないから仕方なく買われ、普及したもの。新しいいいものが出てくれば旧いのはとっとと忘れて捨て去り入れ替えるのは当然。そんなものに思い出という新たな商品価値を認められるようになったのも、団塊の世代が現役を終えようという時期が近付いて新たに生まれたノスタルジー文化からでしょうから、いわば発掘。旧車オタキズムは今だ黎明なのです。

そうするうちに、2004年12月13日、やれやれ纏まってきました。

ハンドルは、ブリティッシュフォワードコンチ等も考えましたが、もと位置が高いようなので、一文字ハンドルにしてみました。ミラーもそれに合わせて変更です。6Vのヘッド球がなかなかなくて閉口しました。あてにならないセレン整流子はヤメにしまして、ブリッジダイオードを自作しました。

それでもだらだら坂でどうも焼き付くので、ポイントギャップをとことんまで詰めて、0.2mmにしてみました。大分点火時期を遅れさせられたようで、高回転での振動が減りまして、力も少々無くなったようですが、焼き付くところまではいかないようです。当面はこれでテストですね。

多少、時代が上がってきたパーツも盛り込まれましたが、まあもってこれだけのプランジャサスのトーハツもなかなかないでしょう。近場を毎日のように、足として動いています。動かし乍らの調整は、まだまだ続きそうですね。


寄ってみるとこんな感じです。
ステムまわりはオートバイの大事な見せ場ですね。なにより乗っている自分がずっと目にしている部分でもあります。操縦性もこれに大きく左右されます。わたしのとーはつさんは、プルバックポストなので、見かけの割にハンドルバーの取付位置が高く、通常のブリティッシュフォワードコンチでさえ、まるでレイズドコンチなんですね。それで運転すると仰け反ってしまいます。あれこれ試した結果、フラットバーになりました。余り幅広なのもおかしかったので、ぴっちぴちな感じ迄狭いものを使ってみたら、案外納得いく感じになりましたが、セッティングはどのスイッチもタンク上数ミリというビタビタ状態になってしまいました。ウィンカスイッチを少し上向けに付けないとタンクに干渉してしまうため、使い難いのは承知で角度をあげています。ミラーも雰囲気があうものを探すのは、今時になると大変ですわ。速度計は前輪から取出さず、ギヤボックスからのワイヤー引きとなり、車輪を空転させても読み取れます。これは、当時外人がみて不思議がった方式だそうです。

次に苦労するのはエンジンなのですが、OVHはアッタリマエだとしても、燃料系統や電気系統となってくると悩ましくなります。データは全く無いので計測数値を勘であれこれ当て嵌めていくというやり方でしょうね。キャブはチョークなしのアマル692がついていたのですが当時は大体こんな英国製品を買って純正として使っていました。英国車はいじり慣れているのでこりゃ簡単です。キャブの後ろに見えるのは自作のブリッジダイオード、これでベスパ状態のバッテリーレス環境にしています。大体元々、レギュレーターというものがないことと、消費電力量の多いセレン整流子では何かと問題があるようでしたが、こうして何とか、保安電装全て、モエたりトンだりしないで済むようになりました。どうやってそうなったのかは「企業秘密」です。本業がこの手の修理屋ですからね。と、いうと格好良いんですが、実際は現車アタリでそれぞれにあわせる作業になります。燃料コックは止-通-余とスリーポジション、本来フィルタがありましたが、プラスチック製で再生不能。よってキャブへ直行です。アマルのインレットにフィルタネットを仕込み、水等はパイプのループ部分でトラップし、随時ホースを抜いて捨てる方式です。
エンジンとギヤボックスは別体で、間をプーリとVベルトで繋いでいます。部材を別にするというのは、管理コストと製造コストがその分掛かるということです。
この時代は、これ、デコンプ装置がどんな2ストロークのオートバイにも当たり前に採用されています。今的にいえば、キックが重いからこれで仮に燃料を送り込んで.....と思いがちですが、勿論それも用途としてありますが、本来はもっと多機能です。
この時代、冷却フィンをどの位の表面積にするとオールシーズンオールウェザーになるかなんてまだまだ分かりませんから、伝承による勘と、なにより見た目のよさでその姿を決めていました。とーはつさんのシリンダは、下から上へとラッパ型をしていて流麗ですが、恐らく下はクランクケースに熱が逃げていくからという考えだと思います。しかしパッキンが伝導を邪魔しますからそうはいかないようです。エンジンの前にはアンダーチューブが接近していて、冷却空気の流れを乱しています。要するに冷やしてやりたくても冷えないのです。大体この時代は今より遥かに道がなく、あったとしても峠は大抵つづら折りの未舗装路です。そんなところを元から高速で駆け上がるなんて、レースでもない限り危険で出来ませんのでボツボツ上がることになりますが、逆にそれがエンジンを保護していました。このエンジンで、今風の道路のダラダラ坂を普通に登ると500mしか持ちません。いろいろ調べてみたら、エンジンが過熱すると、シリンダヘッドの上の方が、深いフィンの為に絞られて、丁度樽のタガのようになって、シリンダ内径が狭まり、OVHでぴったりサイズに調整したピストンリングを絞って留めてしまうようです。こういうことは普段から起こりがちなのでしょうね。でもってそういうことを察知した乗り手は、デコンプをして、その間の燃焼を不完全化して、エンジンを冷やすと同時にオイルを回してやろうというものです。長い下り坂はずっとエンジンブレーキですが、供給不足のオイル量ではエンジンが削れてしまいますから、やはりデコンプをかけて、アクセルを時々煽ってやることで生ガスを無理矢理食わせ、潤滑を維持します。燃料へのオイル混合比は15:1とかなり高い設定なのはこの時代の「モービルオイル」の所為でしょうから今の高性能品ならそんなに奢らなくてもいいとは思いますが、こういう操作は会得する必要があります。

旧車のそれらしさを醸し出すプランジャ式リアサスです。フレーム自体のネジレは結構防止出来、グッドアイデアにみえますが、二人乗りしたりするとよくわかるこれ、車輪が垂直左右方向に捩じれ、「ユラユラ」揺れる乗り心地となります。ストロークも長くはとれませんからセミリジットという感触になります。製造段階での手間はどうかというと、リジットのフレーム並みの精度が要求されるので、スイングアームに比べやたらとコストが高くなります。安く付くスイングアームの方が、反対に車輪の垂直安定性を上げられるのです。この方式が採用された時代というのは完全手工業の時代で、手間を時間割りにする以前にどんどんつくって売ろうというのが商売の概念でしたから、こんな面倒臭いことが出来、しかもそれを15年間も見直すこと無く容認してしまったのです。何とトーハツは、64年4月に消滅する2年前迄、この方式の車を造り続け、しかしながら旧式のこれらは、「安価な実用車」としてコスト度外視の低価格で販売され、より簡単に精度を出せるスイングアームの高値設定の新型スポーツ車が思うように売れないにも拘わらず、その水揚げでこれらの損失を補填している状態を放っておいた為、気付いた時には再起不能な経済状態に陥ってしまったのです。当時のホンダやヤマハのカタログからは、とっくの昔にプランジャは消えていました。ましてこの車のように、フィンがシリンダの箍になって絞ってしまうような旧式のエンジンはとうに見直され、良い道を思いきり走れるものになっていました。
別体のエンジンとギヤボックスといい、旧式だけに安物にみられる高価品を、平気で安物として供給した挙げ句、滅んだトーハツの間違った経営理念がこのあたりで明るくなります。60年頃のトーハツは、ホンダを凌ぐ生産台数を誇る世界一二の大メーカーでしたが、これら過ちの為猛烈な速度でその座を落とすことになります。
なお、トーハツの当時の経営陣開発陣は「気付かず」こうしていたのではないというさらなる驚きがあります。古いユーザーが、同様の車をまた同じような価格で購入出来るようにという「気遣い」が、結果こういうものを長く生産し続けることに繋がっていったようですが、これだけをみれば、とてもユーザーフレンドリーな、愛情溢れるメーカーだったということだけでしょう。
しかしそれにも限度というものがあります。
郵便車のように、新車価格と同額の修繕費を消費した車は入れ換えとかいう確固たる運用理念のない一般ユーザーに向けられたこれら実用車が、精々使用されたとしても3年とか5年が関の山、その買い換えの時には、競争を演じるメーカー同士の戦場へ、購買者として帰って来ることを認識する必要が、製造業者にはあるのです。

チェーンカバーは、この時代道路が悪い為に、チェーンがたちまち泥や埃で汚れて摩滅が加速するのを防ぐ為必須ではあったものの、これのは手の込んだ真ん中抜きで、脱着にはチェーンを切らねばならないという整備士泣かせの面倒臭さを備えています。

これが発売された戦後間もなくは、この車が10万円を切っていたといっても、これを必要とする人々は、よもすれば年商に匹敵する額を支払ったでしょう。幾らそれから10年経って、その時代が超インフレで物価がどんどん上がったといえ、10万弱といえば最高学歴者の中堅の、半年分の稼ぎです。一般労働者ではまだまだ年収です。そういう大金をオートバイに投じる消費者が、いつまでも付き合い宜しく前時代的なものを買い続ける訳がありません。当然乍ら少々高くても、時代の最高の性能のものを買う筈です。
これを最後ごろに検討した人は、当たり前乍らも当時話題を独占していたスーパーカブ号を購買候補に盛り込んでいたでしょう。排気量を落としても、これより速いオートバイが、これより安く買えたりしたのです。更にいうなら、そのころ既にオートマチックミキサーが当たり前になった2ストロークの他、4ストロークエンジン車も性能を安定させていました。50ccの一種原付でも、これより気軽に使えて速い車は幾らでも選べた時代に進んでいたのです。特に当時の本田技研は、続々と新型を市場に投入していましたが、これは乗る楽しみは買う楽しみの後についてくるものということを体得し、真摯に受けた経営者本田宗一郎氏の生真面目さが独走していたからです。品選びを自社カタログの中だけで完結させられるラインナップを消費者に与えれば、その時点である程度、競争から離脱出来、そして結果として顧客を得ることができるのです。スーパーマーケットの考え方を、オートバイで実践したのですが、これは成功に大きく寄与することになり、その後現在に至る迄のメーカーとしての信頼を全世界で築くことになります。
メーカーの地位を失って、それまでのサービスを突然打ち切られ途方に暮れるユーザーを大量に出すことより、健全に経営を続け、新商品を投入し、常にユーザーがその存在に触れられることの方が、妙な親切よりも大切です。

ハンドルロックは、この平和な時代でもあった訳です。盗まれないようにするという用途よりも、パーキングしておく間に見知らぬ人が跨がって、ハンドルを右左にコグ遊びをしてワイヤーやハーネスを切られないようにという目的でした。よって、今のように左に切ってロックするのではなく、ハンドルを真直ぐ前に向けた状態で固定するものです。動作状態で、しかもカギ迄残っているのは奇蹟です。
燃料タンクは15リットルも入ります。異様に大きなこのタンクは、当時の燃料の供給の貧弱さを物語ります。幾ら減ったとは言えまだ街のあちこちにガソリンスタンドはありますが、この当時はガソリンを買い出しにいく必要がありました。カタログには出力7.5HPとありますが、間違いじゃないかと思う程非力です。多分「期待値」でしょう。坂に掛ると、今の一種スクーターにバンバン抜かれてしまいます。ノンシンクロのトランスミッションは3段ロータリー式、旨くシフトしないとギャラギャラとギヤ鳴きをします。私の手許に来た時はニュートラルランプがチャージランプにされていましたがそれも何とか直しました。何処に入っているか分からなくなるものですから。現在の性能は、最高速度が65km/h程、燃費は40km毎リッター位です。まあ、実用にはなる、という感じです。

ここまで仕上げるのに、総作業時間は恐らく200時間くらいではなかったかと思います。もしこれをオートバイ屋さんに頼めば、時間5000円としても百万円の大工事になります。簡単な家のリフォーム位出来る額です。こういうものは、外観直しは差程たかくありません。シートの張替え代も一万円しない位です。が、機能を回復する、そこまでいかなくても満足出来る運転状態を作れる位にすることが、一番金が掛るものです。試してはやり直し、の繰返しが延々と続きます。時として加工製作が必要な部品もありますが、純正部品が手に入れば千円もしないものでも、数万円のコストを掛けて自作或いは発注しなければ仕事が前に進みません。

このとーはつさんは、私が求めた段階での外観程度はかなり手直しされ満足いくものでした。もし外観から直さねばならないようなら、入手する価値さえないものでしょう。オンボロボロを立ち上げ直して立派な一台を仕上げるのは悪くはないことだと思いますが、もっと建設的なことにその金を使わねばならない事情がある私のような人間には、その価値が分かりません。

あれやこれやと苦言を書き連ねておりますが、私としてはこういう失われた時代のものを自分なりに使うことはとても気に入っている生きざまでもあります。オートバイは自動車の中でも格別小さく目立つ存在ではないにも拘わらず、これは異様に人目を引くようです。こういう失われたメーカーは、日本には戦後数百を数える程濫立し、中には自転車屋さんに預け売りする見本車を配っただけで消えた所もある(5台メーカーという)と聞きます。その中でもトーハツは、よく伸びたメーカーの一つで、消滅後中枢の人材はブリジストンに移籍し重要なポストを担っていったそうで、現在の世界企業を育てた推進力となったようです。何故トーハツ時代にその能力が活かせなかったか不思議ですが、こういうことはよくあること、自営や中小では芽の出ない人材も、大企業では卓越した能力を発揮する例は多いものなのです。かくして私の手許に、その殆ど全ての製品は会社の消滅と同時に使い潰されたであろう運命の一台を巡らせてくれたことを今は感謝しています。むしろ、新生トーハツが現在オートバイとは無縁なことが、そういう私にとっては有難いことでもありますね、アンティーク乗物の条件として、製造元が現存しないことはある意味で必須ですからね。
トーハツ製品の中でも「ランペット」はエポックで、スポーツ車でもあって、現在もその名を知る人は数多く現存数もありますが、それはレースにも活躍した稀な名車であったからでしょう。一種原付だったことも幸いしています。これは単なるお仕事の道具としてつくられたもの、そういうものだけに、使われるだけ使われて、面倒になったり飽きたりして厄介になれば、すぐさまお払い箱で廃棄物とされる運命にありますが、何時だか知りませんがこれに懐かしさや愛情を感じ、大切にしてきた人が何人も居て、私がその流れの最終の一人になれたということです。

旧車も、現存メーカーのものでなければ、一応このように一通り全部揃って組み上がっているものの、結局自作対象の部材の山でしかなくなります。誰も助けてくれません。バイク屋さんは、必要以上に高く付く仕事を請けて、支払を受けられなくなると困るのでこういうものの仕事はしたがりません。そりゃ商売の常識で当たり前です。やれば出来ることでもやっちゃ不味いことはあるんです。何も新しいものを売りたいからではなく、そのものが仕上がったところでどうせ、今売られているそれなりのものより俄然宜しくないものだけに、使わせる意味さえないかも知れないのです。意味の無いことに意味を感じるのは個人の趣味の勝手ですが、それを許しておけない世界も、あるんです。昨今の排気ガス規制等その典型ですし、もし大柄な四輪車なら、その辺でぶっ壊れて止まるのを放っておけないものです。即渋滞の原因になるし、重量物が容積をも抱えてぶっ飛んで来るのですから危険です。オートバイは、ぶっ壊れて止まってもそれが渋滞の原因になることなんてありません。止まらなくなっても大抵はドブに嵌って一人で痛がってる程度ですが、一応保安部品が動作していれば、居るところも分かるし動きも見えるしある程度脚力もあるから自転車よりは周囲は危険に思わず居られます。オートバイ遊びは割合独り身勝手でも迷惑が掛らんものなのです。いじればいじったで大して金も掛けずに膨大な時間を浪費出来ますからヒマな人にはお得な遊びですし場所もとりません。くだくだいっても結局は、オートバイ遊びをしましょうよってとこでしょうかね。

しかしながら世間の衆はどうやら、こういうものをもつとツーリングなる行いをせねばならぬと思っているようです。幸い当地は日本中からツーリングに来る人々が多くいる適地なようです。そんなスポットを、まあ巡らなくても通り掛るのですが、その時にカメラを持っていれば撮って、ここに載せていこうと思います。


調子の悪い元(5/20/2005
先日、かみさんとばぶといっしょにその辺を巡った時、いやに調子が悪いのに疲弊していろいろ調べてみたら、何とキャブレターのフロートの中にガソリンが入ってしまって浮ばなくなった為にボコボコになっていたというのを発見。この車に使われているキャブレターは英国製AMAL 392型のRM19Hという枝番のもので、年代からしてみて、フロートとバルブニードルは一体。真鍮のフロートはすっかり腐りが入っていて、点検するとあちこち穴だらけ。長く休んでいたものを去年から急に毎日のように回し出した為、ヒビ迄入っている様子。心棒で固定されているフロートが変に振動して、プレスのストレスの跡に沢山の縱ヒビが入るのは、このやり方では仕方ないのであるが、大体当初五年かそこらなら問題は起こらなかったのだ。当時としては、新製品で購買品の実際寿命より有効寿命が現在の車達とは比較にならない位短かったので、こんなことは起きたところでその時点では既にお品が姿を留めていなかったのであろう。
あれこれ補修を試みたものの、全然ラチがあかず、結局一日でまたガソリンを呼び込んでしまう顛末。しょうがないのでネットフリマをチェック。たまたま、巡り合わせとはこんなものだろうが、同じ型のキャブが見つかった。二つ見つかった。両方とも未使用品だ、一個はオリジン完品でエアフィルタもついている。だが見たところもっと小型のエンジンに使われるセッティングのようだ。値段も骨董に相応しい高額。もう一つはタグ付きの「三国アマル(ノックダウン生産品)」だが、年代も新しめ。しかしフロートチャンバのティクラーのキャップノブが失われている。大昔に部品取りされたのだろう。その為か『かなり』の買得価格。先ず迷わず三国アマルにビットしたらあっさり落札...まあ当然ユーザー不在商品ではある。三国アマルなら少し「改良」されていよう(日本人はえらいのである)ので、ニードルバルブがフロートに刺してあるなんてことはなく、ちゃんと各々別体の構成と思っていたら、その通りかなりモダンなフロートとバルブのシステムで、フロートは真鍮ではなく高級な青銅だった。青銅はねばりがあり振動にも強く、串がなければストレスなく揺れて丈夫だろう。ティクラはキャップノブがないので使えなくなっているが、押せるようにすればいいので簡単。液面は、スロートの下にフロートチャンバがあるものやモノブロックのように調整出来ないので、結構こわごわだったが調べると良い按配のところに来るようだ。キャブの方の型番はRM18F3となっていて、口径18mm。セッティングはタグによれば「ベンリー」ということで恐らく110ccの4ストローク向けセットにされている様子。トーハツさんには余りに苦しい。エアフィルターも元のが使えなくなってしまうフランジ形状なので淋しいから、キャブの方はオリジナルを使うしかないので、相性を気にしたが案外いい様子で収まった。ガソリンもだらだら溢れなくなって具合よくなった。冬場に入ってから、寒いというのにティクラをかけなくてもエンジンが掛ったり、車の下にいつもガソリンがポタポタ(ガソリンは今高価で勿体無い)臭いのを、古いからしょうがないと諦めて、テを付けないで使っていたらこの体たらく。でも部品が見つかってよかった。ネットフリマと、真面目な出品者に感謝。

6/12/2011
暮らしの様子も大分変わり、一旦仕切り直しの必要をみる昨今の事情、とーはつさんも傷み切る前にきちんと面倒を見てくれるオーナーが必要なので、残念乍ら手放すことにした。
楽しい思い出を有難う。
とーはつさんに至る迄、様々な乗物で遊んで来た。船や飛行機のようなちゃんとしたサービス体勢がマニュアル化出来るものから、手許管理に大きく依存するクルマやバイクまで、ありとあらゆるものをやって来た。しかしそうした尖ったもの逹は、それを使って動くのではなく、それを動かすことそのものが目的。動かなければならないものが、乗物ではなく自分になった今、いつでも安寧に動き、飯を喰わず、荷が積めて、自由が利く乗物が必要なことにも気付いた。

学んで来たこと、工夫することを、こうして、総べて修了し、本来あるべき暮らしに向き合うことにした。人によって品々から学ぶものは様々。私がとーはつさんから教わったことは、多分そういうことが主であると思う。

60年前の、今では考えられない程つたない技でつくられたとーはつさんは、それに触れない限り知ることが出来ない多くのことを私に教えてくれたのだ。そのことを、深く感謝して止まない。