時計の大きさ

時計を求めるにあたって、観て風体より重要な規準になるのがその大きさと思われます。持つ人のアイデンティティを集約する、身体の部分を占有するその面積の規準が時計の大きさです。
大きな時計は、「計時機能」が誇張されることは誰でも思い付くことですが、それを必要とする「人」でもあろうと連想されるでしょう。時計を装い以前に計器として必要としているのだ、と、見る人は感じる筈。大きい・分厚い時計を持つ人のタイプは「ガッテン」操縦士・工程管理者・技術者など、一刻の時に追われる仕事についている乃至はそういう生活だということを表現するでしょう。大きい方が精度も出し易く、防水側も作り易いようです。
小さな時計は逆に、計時の機能を控えめに、まあ時を知ることが出来ればそれは良しで、重要とする部分をその装いに感じている人と見られていいでしょう。小顔・薄手の時計を身に付けているということは、「時こそ無用」ものかき・えかき・おんがくかのような類いの人か、ル〜ズでフリーにいることが人生哲学のような感じの人でしょう。
私はあとのほうなのですが....。

時計は元々は大きな設備だったのですが、世の中が忙しなくなるに連れ、持ち歩かなければならない必要を帯びる人が現れました。1400年代のヨーロッパでは、その必要がある人がそこかしこにいるようになり、教会の鐘楼には時計と時打ち師を配備した程ですが、そのうち間に合わなくなり、1500年代初頭には極一部の裕福層が振り子を使わない脱進機をもつクロックを従者に持たせるようになるものの、1550年頃フランスで懐中時計(1kgを超すような)が製作されるとその高額(屋敷か時計か)にも拘わらず領主や高級官吏がこぞって発注したといいます。そうしてパトロンを獲て勢い付いた時計作りも精密工程の余りの多さ故1800年頃迄は工業の様相ではなく、むしろ芸術品であり、量産など望めませんでしたが、その後ロンドンとリバプールで部品専業の工房が組みして生産する方法をあみ出したことが後押しとなり、産業らしいカタチになっていったといいます。
機械のサイズを規格化することで、ケースという機械製造とは全く違う分野の作業を専業の者に任せられるようになって来ると、バリエーションも増え、製品としてのかたちを得易くなります。
型(ライン)の1単位は2.256mm(フランスインチの1/12)です。 英米での呼び寸がサイズで、この場合1・5/30インチを元としてゼロサイズと称し、これに1/30インチを加えるごとに「何サイズ」と呼びます。例えば1・5/30インチに6/30インチを加えた1・11/30インチは6サイズと呼ばれ、ゼロサイズに12/30インチを加えた1・17/30インチ(凡そ39mm)は12サイズとされるというものです。


AMERICAN MOVEMENT SIZES (LANCASHIRE GAUGE)
SIZE INCHIES MM LIGNES
18/0 .600 15.24 6 3/4
17/0 .633 16.08 7 1/8
16/0 .666 16.92 7 1/2
15/0 .700 17.78 7 7/8
14/0 .733 18.62 8 1/4
13/0 .766 19.46 8 5/8
12/0 .800 20.32 9 3/4
11/0 .833 21.16 9 3/8
10/0 .866 22.0 9 3/4
9/0 .900 22.86 10 1/8
8/0 .933 23.70 10 1/2
7/0 .966 24.54 10 7/8
6/0 1.0 25.4 11 1/4
5/0 1.033 26.24 11 5/8
4/0 1.066 27.08 12 1/8
3/0 1.1 27.94 12 3/8
2/0 1.133 28.78 12 3/4
0 1.166 29.62 13 1/8
1 1.2 30.48 13 1/2
SIZE INCHIES MM LIGNES
2 1.233 31.32 13 7/8
3 1.266 32.16 14 1/4
4 1.3 33.02 14 7/8
5 1.333 33.86 15 1/8
6 1.366 34.70 15 3/8
7 1.4 35.56 15 3/4
8 1.433 36.40 16 1/8
9 1.466 37.24 16 1/2
10 1.5 38.1 16 7/8
11 1.533 38.94 17 1/4
12 1.566 39.78 17 5/8
13 1.6 40.64 18 1/8
14 1.633 41.48 18 3/8
15 1.666 42.32 18 3/4
16 1.7 43.18 19 1/8
17 1.733 44.02 19 1/2
18 1.766 44.86 19 7/8
19 1.8 45.72 20 1/4
20 1.833 46.56 20 3/4

16サイズは1930年時点で米鉄道指定

SWISS MOVEMENT SIZES (LIGNES)
日本では「型」として流用
LIGNES INCHIES MM
7 .622 15.79
8 .710 18.05
9 .799 20.30
10 .888 22.56
11 .977 24.81
12 1.066 27.07
13 1.154 29.32
14 1.243 31.58
15 1.332 33.84
16 1.421 36.09
17 1.510 38.35
18 1.599 40.60
19 1.687 42.86
20 1.776 45.11
21 1.865 47.37
22 1.954 49.63

19型は国鉄時代の指定

アメリカの20世紀初頭に於いて懐中時計は、婦人が4/0〜2サイズを、紳士が12〜19サイズを使う、と定番していたようです。ところがその頃の腕時計になると様相はがらっと変わり、婦人は8〜10型を奨められるものの、男性は12型(当時凡そ腕専用の側の最大)以下を好みに合わせて使っていたようです。1930年代に日本では「南京虫」などとよぶ極小の婦人持ち腕時計が現れ、18/0〜16/0サイズの機械が使われました。これはアールデコの運動の中で、機械を装飾に用いるという新しい概念で、この勢いなどが加わり女持ち、男持ちというはっきりとしたサイズ割りが段々と確立していくことになります。
しかし、そうなると幾つかの番手が「欠番」とされるのは世の常です。時計は年々安くなってゆくので、コストダウンの為には、売れない型を廃番としなければならなくなって来るのです。それが一部の洒落モノの憤懣を誘発することになります。多くが専ら知識階級である彼らは、売り残される二つの極端なサイズを嫌い、わざと旧式の「中庸的な」サイズを使用し、あたかもそれが「賢いこと」のように振る舞いますし、雑誌等の媒体でその姿まで現わされるとネーションワイドにそれが伝搬し、流行になってしまうのです。時計は高価で、故に寿命もサービスを受けることで延ばされる為に、それでなくても新品に魅力を持たせる苦労をしている上にこれではその分売上が落ちます。そこでメーカーは汎用性を高める為に、これまでは側一杯の型を作っていたのを改め、側は36mmでも型は24mm位のものを使って「詰め物」をし、要望に応じて30mmの側を拵えられるよう準備し(精工舎など)、またあるメーカーは女持ちを「大きめ」に作って、男持ち37mmの側と女持ち25mmの側との中間の30mmの側に「詰め物」をして女持ちの型を入れる(ロレックスなど)よう支度したりします。

昔特に20世紀初頭ぐらい迄において、時計の価格は精度が左右しましたので、作り難くて精度の出にくい小さい型は余り高価に設定出来ませんでした。よって小さいものを高く売る為に、専ら機械メーカーが製品輩出をリードしていたことから側メーカーからより細工の多い側を仕入れてそれに与え、価格が見合うものとしました。大きな型は、特に鉄道の規定に採られるものについてはそれそのものが最も高価でもあり、最終価格を抑える為に安い側も多数用意して性能優先で売りましたが、そうでもしなければ時計が必要な職場にある人に指定の時計を行き渡らせることが出来なかったという、大層現実的な理由があったのです。中でも鉄道は、一本の線路に往復の列車を密に配する都合から運転精度を極限迄要求していましたので、これを享けてその他の業種に於いても同じものを要求する指向が見られ、海運や航空、電信電話など流通や通信を請け負う方面も倣い、雇用者に装備を要求したり、供給したりする傾向があったのです。これら職種にある使用人は、結局規定の品を購買することをほぼ強制されており、その他に対してもトレンドとして伝わり、特にアメリカの時計産業は飛躍的に成長し、一時世界を席巻しました。
切っ掛けは1891年4月19日、オハイオ州クリーブランド駅東25マイルで発生した東行きクリーブランド発第4郵便列車と西行き臨時旅客列車との衝突事故が多くの経済的トラブルを引き起こし、その原因が臨時列車の機関士のもつ時計が低質で、たった4分の遅れが原因だったことから、安全な大量輸送を遂行する為に急遽政府が鉄道規格を定め、時計メーカーがそれに追随し指定を仰いだことです。
この精度は今でいうところのクロノメーター規格を凌ぐ厳しいもので、当時の技術ではギリギリ一杯だったようですが、次第にメーカーは研鑽を積み、あたかもそれが当たり前のようになっていきました。そうして精度の期待出来るようになった「大型の懐中時計」は、その後長く多くの働く男性陣に支持され腕時計の購買を控えさせますが、優美で装身具的意味も認められる小型の腕時計が女性に好まれ広まり、間もなく無線電話による指示伝播を使って広い戦線を維持する戦略が世界の優位に立つことを実証されたことで、直ぐに時を読める腕時計は男性にも半ば強制的ながら認められていきました。

1969年に服部セイコーが水晶発振子を小型化し腕時計に利用することに成功した後は、時計は大きくなければ正確ではないという定説は何処かに消し飛んでいきます。当時はまだ水晶時計は一部の高価な掛け時計か、整備業者が時計を調整する時に用いる規準機器にしか用いられていなかったので、誰もそれを可能にするとは考えなかったのです。以降時計の大小に関わらず月単位の誤差が十数秒という破滅的な高精度の水晶腕時計こそが規準とされる為に差程の年月は掛かりませんでした。
しかしながら、水晶時計は動力源が電池である以上、機械の体積の多くがそれに割かれる為、小型化や薄型化には限度があります。同時に、手の込んだミクロな機械の美しさやそれを扱う魅力はなく、数カ月に一度竜頭を引き、或いはボタンを押して時を合わせる他に機械と接することがない水晶時計は、生活の道具としては優秀でも、存在としてのいとおしさとは縁遠いことが理解されます。水晶時計が普及する中で、幾つか生き残りを模索した機械時計は、現在ではチクタクという動作音もその商品価値の一つとして追求され、振動数を上げることで精度を高めようとした一時の動きも改まり、水晶時計と機械時計は各々の良さと魅力を備えた別種の時計として存在意義を確立したのもつかの間、携帯電話やパソコン等時計機能を内包し計時データを動きの中で必要とする「時計に見えない器械」を身近に置かれることが、改めて時計の意義を薄める時代になっています。

産業革命の折は、時計を持つ雇傭者の下で労役する人は搾取に寿命迄危うくされ、きっと時計を怨んだことでしょう。その後長い間、時計を持たねば優位に立てない年代がそれを普及させもしましたが格差も生み、人々は何とかそれを手に入れようと寝食を犠牲にします。時計によって指示され戦わされた多くの兵士、時計で人生の大きな一部を切り取られ買い取られることで暮らす殆どの労働者、それらのお陰で時計は進歩したものの、やはり恨まれる存在でもあったはずです。駆動方式に電気が現れたことで翻弄され、そしてまた、思いも寄らぬところから類似の機能の攻めにあう。
時計は魅力的な美しい機械ですが、相反して因果を負った道具でもあるようです。

決して、時計を集めてはいません。