燃費だけがボートの性能ではない。

しかし、動かさなければ面白くないものだけに、支出として先立つものに限度があるとするなら、燃費は必要な検討項目だろう。

併し乍ら、燃費ばかりを追い掛けて楽しいボーティングに結びつくだろうか。モーターボートには、経済性を凌ぐ大切な、官能的かつ能動的性能が必要とされて今に至っていることから、単純に考えることは出来ない。この難しい部分を是非知ってもらいたい。

原動機の燃費。それは誰もがエンジンが付いたものを買う時に必要とする予備情報の一つになる。うっかり買ってしまったものが莫大な燃料を要求する為に運行出来なくなるなんてことは、古来から機械を使う業界人が幾らでもやって来た失敗である。遊びや自己満足の世界でも、当然この失敗は起こりうる。思いに任せて大きな車を買ったのはいいが、何処に行くにも燃料代が気になって動きがとれなくなってしまっては厄介物を背負い込んでいることになるからだ。近年不用意に値段が下がり、身近にさせられてしまったパワーボートに至っては、元々が多大な燃料消費を必要とするものだけに、意識しないまま多額を燃料に投じる恐れがあるものだ。港の何処ででも燃料が手に入るというものではない環境で用いるものでもあり、行ったきり戻れない殆どカミカゼ状態になる場合だってあり得る。だから、求める前に、自らの運行条件として「燃費」を確定しておくことが賢く品選びをする為に必要かも知れない。

そこで、一体どの位の量の燃料を内燃機関は必要とするのだろうか。

これは、電気着火機関であれ、ヂーゼル式機関であれ、現在では大体決まってしまっている。最高の効率で燃焼出来る空燃比というのがもう既に出来上がってしまっているからである。1気圧の下での燃料消費量は、185グラム毎馬力毎時と考えればどんな機械にも当てはめてよい。ただ問題は容量である。グラムという単位は1000分の1リットルの水の重量であるから、比重が軽い油に換算してやらねばならない。水に対してガソリンは凡そ70%、軽油は85%の比重としておいて大体間違いない。

ここに300馬力のガソリンエンジンとヂーゼルエンジンがあるとする。そのお互いの時間当たりの燃料使用量はどの位なのだろう。簡単に計算してみよう。

185グラムに馬力数を掛け、1000で割って数値を揃え、各パーセンテージで割れば良い。

この結果、時間当たり消費は、ガソリンエンジンは約75リッター、ヂーゼルエンジンは約65リッターとなる。

見かけの燃料の重さがガソリンより重い軽油を使うヂーゼルは、容量売りの燃料の量で見るとガソリンより遥かにアドバンテージがある。但しこれは燃料の量という見方だけで考えた場合だ。

この他に考えに入れなければならない問題はまだある。

ヂーゼルエンジンは、ガソリンエンジンに比べ重い構造が必要である。圧縮圧力がガソリンの倍にも達し、さらに燃焼開始時期を正確に制御出来ない為、より丈夫に作らなければ耐久性に問題が出る。よって、馬力当たりの重量は、ガソリンエンジンの倍にもなってしまう。300馬力のガソリンエンジンが200kgで出来ても、ヂーゼルは400kgにもなってしまうのだ。これでは、200kgのエンジンしか許容出来ない船に積むことは出来ない。さらに、重たいエンジンを積まれ重くなった船は遅くなる為、結果として余計な時間を消費して同じ距離を移動しなければならない。つまり、両者に同じ性能を得る互換性はないことになる。

さらに、内燃機関は小型機関の場合特に回転数の変化で出力変化を得る造りにせざるを得ない。元々重たくなってしまうヂーゼル機関は、軽い機械で出力を得るには過給補機に頼らざるを得ない。これがまた厄介物で、送り込む燃料を増やしてやっても直ぐには付いて来ない。ガソリンエンジンは燃料の量と吸入空気の量を能動的にコントロール出来る自然な造りなので、アケてやれば直ぐ付いて来る。つまり追従性が高いのである。小型のボートは当然波捌きをその速度変化に頼る部分が多いから、トロい機械では波に食い付かれてしまう。多分に危なくて出かけられない船になってしまうことだってあるので、盲滅法でヂーゼルの低燃費を歓迎することは出来なくなるのだ。

実際、船の性能は大きさによる部分の方が、エンジンの性能によるより遥かに大きい。小さい船に大きなエンジンを積んで力強く波浪に対抗出来れば確かにシーワージネスは高まるが、それを活かすのは操縦者のテクニックであるし、エンジンがそれに付いて来なければ高いテクニックも宝の持ち腐れになる。大方の操縦者の平均的な操縦技術で優劣を語るなら、船自体が成るべく大きい方がいい。大きな船は自然の法則で自ずと行き足を安定させ易くなり、少々トロイ機械でもその針路を保つことが容易になるのだ。船が大きくなればなる程航海の安全性と達成率は高まる。すると計画が立て易くなるので、速力は余り問題にならなくなって来る。

元来行動半径の小さいモーターボートに、無闇とヂーゼルエンジンを積むことは、腹持ちがガソリンエンジンに比べていいからといって、運動性能という本来楽しみとして重大な性能を殺すことになる為、手放しで歓迎することが出来なくなる定理がここにみられる。補機で出力を上げられているヂーゼル機関になれば、本体より短命なそれらがコストを増大することも考慮に入れねばならない。修理代は燃料代より遥かに高価であるから、修理サイクルが短くなると燃料代の差を越えて負担を増すことを考えると、本体が丈夫だからと全体を評価することは出来なくなる。さらに丈夫に作られるヂーゼル機関は馬力当たりの単価がガソリン機関より遥かに高い。元々の価格差によるアドバンテージが、安価で高出力で軽いガソリンエンジンにはあるのだ。

さらにいうなら、ボートを造る者はそれを計画する段階でその製品の最終性能を追求する為エンジンの重量は勿論出力も計算に入れて造るのである。エンジンメーカーがボートを造り、ボートメーカーがエンジンを造る例は殆どないから、製品として売られているエンジンからチョイスしてボートを造ることになるのだが、予めチョイスされたセットから外れたものを選ぶことはメーカーの製品概念から逸脱することになる。製品に与えられた性能を殺してしまっては、そのものの性能を楽しむことは出来なくなる。ガソリンエンジンで設計された船に対してヂーゼルを積むことを欲すること自体、一種の破壊工作なのである。また、数を造ることを目論んだ製品はそれなり以上に完成度を追求しているから、メーカーが望むセットが間違いであることは先ずない。メーカーは巨額の投資をして製品造りをしているので、ユーザーが考える程少ないファクターをそれに与えてはいないのだ。

こうしてグルリ巡って元の場所に戻ると、見えるのはただ一つ、造られた時のセットが最高の性能なのだと真っ向信じるしかないことである。実際、静止時と走行時で大きく姿勢の変わるモーターボートは、そのセッティングが非常に難しい。永年を経て機械の寿命を見、換装される時期に元々の機械が選べない場合違うものに据え替えるのであるが、この時の選定は実に高度なテクニックを要求される。単に馬力が同じだからという理由だけで換装すると、時を経るうち高性能化しより軽量になったものになってしまい、単なるじゃじゃ馬を造ってしまう場合だって沢山ある。逆に、燃費を追われる余りガソリンからヂーゼルに積み換えられてうまく行かなかったものは、まるで鈍足で使い物にならなくなっていたりする。それを見切るのもまた技術で、かなりの数を見て、かつ一つ一つに対して数値的検証が出来ないなら、何の説得力もない。

ボートを買う時に、運行経費を検討課題に入れるなら、先の計算方法で燃費を把握し、許容する燃費を齎す品の数々から、大きさにこだわらず選ぶのが得策だ。後は、各々の候補が、実用可能なセットをもっているかを吟味することになるが、この確証を得る部分で数々の経験と蓄積を持つプロの仕事が価値になるというものだろう。