とおくへいきたい・・・・9/13/97乗り物というのは、確かに人の足ではそうおいそれとは移動できない場所や距離に、より達しやすく、より便利にを目論んで発展してきた。自動車や鉄道列車は、それ単体では実は何の役にも立たず、完全に整備・整理された道路というシステムや、計算ずくの鉄路を完成させて始めて実用品となる。ぬるぬる、がらがら、草ぼーぼーの野中にそれらをおいてみたとて、単に重たいばかりだろう。
舟や飛行機はどうだろう。基本的に港を離れてしまうと、どこによる菅もない「うつわ」である。あっちこっちから押し寄せる大自然の力に押され流れつしながら、なんでかしらんが目的地に辿り着く。どこに筋道があろうか。何れも外から見ればちゃんとまっすぐ進んでるようではあるものの、計画的に位置を割り出し、針路のずれを計算し、次のコースの針路を定め直す。ぼ〜っと動いているようで、操る者がきんきんに神経を尖らせて辿り着こうとしているから、無事に到着の幸に与るわけだ。近ごろはグローバルポジショニングシステム(GPS)が普及してきたから、地上で位置が割り出せるのなど当り前と思われていようが、実はかなり危険な思想と思ってよい。それらマシンは電源があって始めてものになる。そして、あくまでも利用しているメディアが怪しげな軍事衛星である。それはオメガやサテナビのように国際的な航法援助組織が運用しているものではない。その所有権は、なんと一国の国防軍にある。軍隊は種々な「秘密の思惑」で活動している。あっけらかんとしていたのでは全く務めにならない。しかも宇宙空間は今の処大国が自由に使える唯一の場所で、現在技術的に何者も「あのへんをうろうろ」出来ない「だろう」ちゅう考えに基づいての発想だろう。私は軍事軍備に反対する人間ではないが、国家的レベルの深い思惑は、われわれに認知を促すことなどなく何らかの行動に出る。そうでなければ意味がない団体の所有である以上、それに100%の信頼を置こうとするのはかなり危険であろう。あくまでも便利品とか、航海中の手持ち無沙汰を癒してくれるアメニティとしての理解がほしいところ。が、だ。世界的にこのせいで事故が増えているらしい。自分の位置の予測をつける訓練がたらないナビゲーターによる、マシンの故障や誤操作による海難事故。確かに機械のお陰でか、海という壮大なウィルダネスは小さくなってきてはいる。中世の昔に羅針盤がそうしたように。そのころはどうだか分からないが、羅針盤に関しては今は研究の極みにあって完成されている。調整、誤差の測定など、完全に教科書が出来上がっているといってもよい。しかし新手のマシンは、教科書が出来上がる前に新たなシステムが生まれ浮気を誘う。本当なら羅針盤以上のマシンは存在しないはずである。六分儀を超える測位器具はないはずだ。人間の勘という、方法論では物語る事が出来ない、経験によってのみ得られるツールも忘れられない。
実はこういう話をするには訳がある。最近とみに多くなったのがそのGPSでどこそこへ行きたいが、なる相談である。だが残念だがそれを丸々教える訳にはいかないのだ。第一、日本には正確に測量された海図がある。それにコースを引いて、得られた地点情報を単にマシンに打ち込めばいいだけ、ではあるが、少々経験のある人ならば、単にぼー線を引っぱっただけでは次のポイントに着くまでにどれだけ流されるものだか見当もつかない。よく「ふくらんではしる」等というんだが、コース通りの積もりでも、大方の小型船は通常地目航法(目標が陸地の一点)を取るため目標物が近くなってくるとそこを目がけてコースを改める。すると羅針盤の方位がどちらかへ振れるというあれだが、これは足が遅いものほど顕著に現われる。小さいものほど外力の影響を大きく受けて際だってくる。陸地からの距離感も、慣れ親しんだ風景を離れるととたんに鈍るから、予め流されるであろう分を予測して、やや上手向けに針路を振っておく。距離が伸びれば伸びるほどこれは重要になってくる。これは航法装置でやると簡単そうでよさそうだが、そうすると機械がひいたコースに無理に乗せながら走ることになる。すると片時もマシンからめがはなせなくなってしまい、もしマシンのコースが陸寄りに1海里平行にずれたらどうなるか。それでなくても人間は陸に吸われるように動くのに、そのまま鵜呑みにすると厄介なことを起こしかねない。
なにもマシンに頼らなくてもそれなりに経験を積んでゆけば、それなりに遠くへ足を延ばせるようになる。自分のイメージと実際のナビゲーションがぴったり一致するような。遠くへ連れてってくれるのは、マシンではなく、操るものの総合力で、マシンはそれをちょっと手伝うに過ぎないのだ。
「この器具及びデータは航海の参照とするものであって、実際の航海の用に供せるものではない。実際の航海は海図等水路図誌原本を使用し、操法の確立した航海手段に依らねばならない」
これはある機種のダイヤログである。機械は人の命や生活を延ばしたり、便利にしたりすることは出来るようになった。人の寿命が伸びたのは自動車のお陰であるところは大きい。しかし、人の命や生活を、守ることは出来ない。結局、自分しか当てにならない。遠くへゆくには、一歩一歩経験を積んで知識を深めるのが早道であろう。