Q:楽器が先にあって音楽ができるのでしょうか、それとも音楽が先にあって楽器が要るようになったのでしょうか

A:
 楽器をずっと商って来て、同じ疑問を営業上も技術上も持った経験から、個人的にいろいろ観察して得た持論だと云うことを予めお断りしておきますが、ある時点・ある部分迄は、音楽が先であると思います。しかしながら、あるアプローチからすると、楽器が圧倒的に音楽より先んじます。

 基本的に、何か奏でたい旋律があって、楽器をそれに宛てがっていく。それが音楽作りです。ただ、楽器が余り思い通りにならなかった15世紀頃迄は、ある特定の旋律の為だけに作られた楽器も多かったようです。そうして出来た雑多な楽器の各々に愛好し奏法を追求する人があって然るべきですが、やがて追求し切れず淘汰されて今に至っているのだと御考え下さい。

 バイオリンは、15世紀初頭に「突然」現れた、当時としては革命的な楽器でした。原型は馬頭琴という話があったり、それが中東に渡って出来たものがトルコを通して伝わったとも云われますが、何れも、原理的に同じように見えても、求め得る性能が違うと思います。
先ず、それまで共鳴弦に頼っていた共振による音の膨らみの作り方が、旋律に使われる音階弦で兼用されるようになっているところですが、それまでは共鳴弦が多ければ多い程良く鳴る楽器のように思われ、二十四本もの共鳴弦を持っているもの迄試されていたのに、いきなり4本だけというのは随分非力に思われたことでしょうね。
続いて、それまで西欧では音階を指板にフレットというタガをつけて、それに弦を押さえ付けることで得るのが一般(ギターみたいな)的だったのを改め、共鳴点を得易い楽器の設計と調弦を用い自然に導かれるべきものとして扱われています。当初はフレットのない指板に大層戸惑ったことでしょう。そして、大きさは、胸乃至は喉元に楽器の尻を当てて、横に高く構える方法を取られました。それまで弦楽器は膝の上に立てて弾いていたのに、いきなり置場を失った奏法は尚更キテレツに見えたことでしょう。

 しかしながら、音楽の歴史的に見ても、その奇妙な新製品であるバイオリンは意外に早く西欧の音楽界に浸透していきました。テレビやラジオはおろか、レコードさえなかった時代に、それこそ何年も掛けずに広まっていったのです。それから考え得るのは、音楽に携わる人々が大変貪欲で、既存の楽曲、特に宮廷や教会で捧げられるものをより荘厳に響かせたいと願っていたからということです。当時西欧は教会の権力が強く、信仰もとても篤く、それに宮廷が追随し強力に人々を支配していましたから、金銭や物体のように残らない、ただ鳴り響いて消え去る音楽に、唯一無二の価値を与えて捧げたいと大勢が祈るような気持で臨んでいたから、と、考えられるでしょう。

 バイオリンの発明と浸透は、それまで到底不可能に思われたことも次々可能にしていきます。目立つものの一つは管楽器との共演、もう一つは編成の大型化です。官能的に、訴えかける旋律だけを担って独立していた管楽器が弦楽器と音を重ねて演奏出来るようになり、一つの機種の楽器の数を増せるようになったことは、バイオリン属の楽器の特徴をよく活かした改革だったようですが、同時にそうして分厚くなった音を使って壮大な音楽を創りだせるようにもなっていきました。

 ここまでは、音楽を歴史から見たときの楽器の立ち位置です。見方を変えて、楽器を演奏する人或いは習う人の現在時点での立場からするとどうでしょうか。
 こうなると、もう、圧倒的に楽器が先、としか申し上げようがありません。
 19世紀末より大発明が続き、レコード、ラジオ、テレビに各々を司る録音技術が次々発明され実用化しました。現在において、昔のような音響への情熱は、発明により齎された再現が威力となって凡そ潰えています。20世紀、特に戦後も革新的な新しい楽器は幾つか現れているものの、広い認知を受け一般化したのはシンセザイザーとコンピューターインターフェース程度であり、その他は大体ゲテモノとして常に興味の対象でしかありません。そうした中で今の私達は、曾て開発され、淘汰され残った優秀なものの中から奏でる楽器を選ぶだけになっていますけれども、その時点では、既に楽器は先んじてどんな人より成功している立場に居ます。
 ここで問題になるのが楽器を手に入れる方法です。
 既にあり、使い方も証明されているのだから、正直申し上げて何処からどう云う手立てを踏んでも手に入るようになってはいるのです。だから目標や希望になっているのですが、善し悪しは格段に問われる時代にもなっています。
曾てはデパートにも専門家が居た楽器ですが、今や楽器店にも居ない可能性があります。それもその筈で、新参の若年者が減りつつあるのに音楽の他にも沢山楽しいことが出来てしまっているのです。楽器店は元々は地域や専門器目に通じた業態で、演奏を志す人に身近であった筈ですが、そうしたホカノコトとの競争も余儀なくされ、今時は専門や知識や技能がどうとかいうより幾ら売り上げるかが存在のファクタとならざるを得ません。
 先にあるモノがこのように戦々兢々とした有様では、其処から自分の道具を得ねばならない人にとっては鬼門です。結果として楽器に遥か先んじられている多くの人は演奏以前に大層な負荷を持たせられてしまうことになっています。格別その選定や調整修理の習得研鑽に長い年月が必要な弦楽器に関しては、容易に暗中模索となってしまいます。同じようなものなのに価格の幅も信じられないくらい広く、手頃で良いものとはどういうものかということさえも遠く森の彼方、分け入っていくうちに疲れてしまうか、恵まれた方なら身にあわない買い物に迷い込んでしまうでしょう。

 音楽が先んじていた美しい時代を思い描き乍ら今楽器を手にする皆様には、相談し易く親切な身近なお店を持ちつつ、広く購買先を広げる賢さを身に付けて頂きたいと思います。本当なら、音楽が先なんだということを忘れずに。

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