Q:楽譜は読めないといけないのでしょうか
A:
なにごとも、「幅をもっていたほうが」手際が上がるもんです。
音楽は元々、楽譜に記されて提供されるものではありません。音響ソースがあって、それを奏でるにはどういうスピードでどういう音程で....と、順序立てて要求されるひとつのステップが楽譜です。精細に書かれた楽譜があれば、確かに、曲を最初に音響化した人と似たような表現は出来るでしょうが、実は全てを再現することは出来ませんから、楽譜が読めるから曲のいう全てが分かるようにはならないのです。
では、楽譜等読めなくてもイイカ!というのは早とちりです。
ポップスやロック、ジャズでは、コード譜という楽譜をメモのように使い、時点で使用する音のセットやスピードテンポを指定して、官能的にそれらを組み合わせて演奏されることが多いのですが、それを許されるのは、取り組みを同じくする一つのグループの中で、しかもその時その場だけです。合奏練習を積み重ね、煮詰め、型を整えて、ライブ演奏や録音の準備をする中で、奏者は個々に各々のフレーズを、五線譜に書き留めていくものです。その能力をもっていないと、何かの躓きが切っ掛けになって演奏会が破綻することになります旧来のロックの大御所の幾人かが、出版上で楽譜等に頼っていたらロックは出来ない、と言い切っていますが、それは楽譜をいちいち読んで、頼り切っていては、時々のうねりに溶け込めないといっているので、楽譜がなくても出来ると言っているのではないのです。昨日のライブと今日のそれが、セットとしては同じでも、聴衆を含めたその時の状況が違えば、常に同じでは居られないということで、言葉の意味としては、折々に示される「ノリ」を読み、外さないこと、決して出し一方通行で時間だけ消化しないことを言いたいのです。そういう彼らの演奏も、楽譜に書き落とされてちゃんと売っていますが、音楽の業界には分業が行き渡っていますので、そうしてくれることで、一度きりである筈の演奏に「印税」がつき、後々迄稼げるようになりますし、その楽譜を買った人は、もしライブを聞いていなくても、そのグループの演奏が好きなら雰囲気が分かりますから、同じような感じで、別の場所で別の人に演奏を展示しやすくなる、というものです。それを「まねっこ」だというなかれです。こういう指向の活動形態をカバーといいます。オリジナルを、大きな舞台でちゃんとした料金を取って聞かせる人をアーチストと呼び、「まね」して小さなところや街頭で、無償乃至は少額で広める人をエバンゲリストと呼んでいますが、前者は言わば教祖、後者は直訳ですが布教者なのです。つまりカバーも役割なのですが、布教者に聖書の役割をするものがあるとするなら、バンドスコアと言われる楽譜なのです。普通はアーチストがこれを編纂することはなく、スコアラーという専門職が従事し、専門の出版者が発行します。
それが、クラシックの世界になかったかと言うとそうではありません。作曲者の楽譜は荒引きで読み辛いことが多く、浄書の必要がありますので、その役割の人や店が綺麗な楽譜にし、演奏者に提供したのです。昔は印刷も手間が掛かりましたので、量産して幾らでも売るのは無理だったので、大体版元が使用する楽団なりに貸出す「貸し本」的サービスで提供されたようです。年月を重ね、版を改めていくうち、音楽界の要求に変化が出ます。オリジナルが持っていなかった編成が加わったり、歌唱が加わったりすることがそれです。編曲や、改編というこの行いの全てが原作者によるものではありません。クラシック音楽とされているカテゴリーにおいても著作権はありますが、その多くはこの楽譜の浄書と出版に関わるものです。それを利用してクラシック音楽を演奏する人が我々なのですが、つまり、皆、カバーをしたり聴いたりして楽しんでいることになりますけれど、生憎誰一人として原点になる初演を視聴していないので、推測、憶測、こうありたいという願望が演奏に現れます。クラシック音楽の楽しみは、その個性でもあると言えます。
楽譜に頼らず思いの侭に演奏して常に愉しければそれで良いのですが、何処かで何か、色気が欲しくなることがあります。折角懸命に「みみこぴー」したフレーズを、忘れてしまってはそれまでです。ここであるといいのが「幅」です。楽譜を読めれば、記す助けになります。全く聞いたことがない楽曲を、楽譜に初めて接して演奏することを初見演奏といいますが、バイオリンを何等かのメソッドに則って習う人では大体5年程度でこれを可能にして行きますが、其処迄今さらと思う人も、楽譜の読み書きを学んでおけば、足りなさや不安を補えます。これを幅と言っているのですが、活動の余裕の一つを得ると信じて楽譜に接して頂ければとも思います。
昨今は、映像メディアが普及している為、昔は有り得なかった演奏シーンにも後々触れられる機会が多いので、カバーを有償で聞きに行く例は少なくなりましたが、それが一層楽譜の必要性を促しているようで、ウェブで配信されることも増えました。昔以上に楽譜は必要とされているのが実態なのです。昔は、読めなくてもよかったそれは、今では、読めて当たり前なのかも知れません。