Q:練習する時間がないのです。
このまま楽器を持っていても楽器が可哀想なので売ってしまおうと思います。

A:
 四六時中耳にするお話ですね。

 歴史的銘器なら、全然使わないのに占有しているというのはある意味で、文化財の独占ですから、社会通念から望ましいと思われません。しかし、普通に楽器店の店頭で選ばれる楽器なら、あなたが選んだ時点でまたはあなたにあてがえられた時点で、「あなたに使われるものとなる」使命は全うされ、本望な筈です。
 もし買い換え等で、散々世話になったが「信頼して来た」楽器なら、そのまま使わなくなってしまうのは勿体無いものですから、誰かにその信頼を継承する為売ったりあげたりするのは、ありです。楽器は買い替えられてお役御免になっていますし、そこまで役立ったのですから使命も全うしています。でも信頼は受け継ぐ価値があり、楽器もそれを望むでしょう。誰かを存分に助けた楽器は、他の誰かも助けます。それを繰り返して歴史的銘器は名を覇すに至ったのです。分数楽器の場合も同じです。身体が大きくなれば、適当でなくなりますが、それまで存分に働け、しかも消耗し切った訳ではありません。

 ここでのお話は、楽器を手にしてみたものの、練習出来ない、また習う手段が見つからない等で思い違いをしてしまったようだから...という場合のお話ですね。

 先ず、可哀想ということに関して言うなら、あなたに選ばれあなたに見切られる楽器は愈々、可哀想です。
 大抵の、音楽を嗜んだ人の手許には多種類の楽器が、一個づつはある筈なのです。どれも、常に稼動している訳ではありません。忘れ去られる程稼動していないもの、もあるでしょう。しかしどれも、その人にとっては、経験のあるパート、なので、楽器がなくなったらその人の価値もその分下がります。仮令本当に奏法を忘れてしまっていても、いや、結局手をつけていなくても、同じことだと思います。

 今は、一時的に多忙で、結局時間を取れないかも知れません。でも、楽器があることであなたの人格は幅広くなっているでしょう。孰れ、時間は得られます。その時を待つことをお薦めします。

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