私はこの愛器に対してスッゲ不幸を強いていた..何故って、ここに載せなかったからなずっと........。この楽器とは、舟並になが〜い付き合いをして来た。何も雨風の中センセエのとこに通うチウ普通な付き合いではなく、私はこれをず〜〜〜っと、玩具にしてきた。
そのくらい、楽しいガッキである。
ここから先は、マトモなオービスツが聞いたら腹が立つような話です......。

へっぽこオーボエ遊び..

これがオーボエ(Oboe)という楽器です。既に25年愛用、実用的にはぽんこつか。

ハンスクロイエル(ドイツ)・96FA
コンセルバトワール式フルオートマチックオクターブキイメカ・トリルキイと替え指レゾナンスフル装備
一応このブランドの最高級機種...。

音がピ〜ンと通る、メカニズムが丈夫で狂い難い、管が割れ難いというフレコミだった。私的にはここに至る迄に猶に十丁以上の楽器を遍歴してしまっている...。が、この直前にヤマハの新作を悪戯した以外皆、ドイツの楽器であるとこが変。流行りはかなり前から「おふらんす」よ。
しかしそれにしても日本ではマリゴーだらけだ。出会うこの楽器をやる人は片っ端からマリゴーを使っている。

このガッキの特徴....はというと、兎に角、猛烈に難しい!。音を出すということからして難易度A級である。先ず、出したい音は、出ない。これは飽くまでド素人的に見た場合だが、キイ(音程)すら、楽器側であわせるということが出来ない。先っポにつけて吹くリードは、クラリネット等と違い、二枚のチイッコイ葦のペラペラを自分で削ってこしらえて糸で巻いて(まあ専ら)作るのだが、基本的にこれと、それをつけるチューブという部品の兼ね合いで音程をこしらえる。オケ等に「抱き込まれた」日には、それだけで地獄の毎日が待っている。
メカニズム的には近代では既に完成され切ってはいるものの、なんせ木造(グラナデラという水に沈む木)だのにその上に滅多矢鱈とフタが並んで、それを連動させるリンケージを無数に備え、そのアタリがチョトでも狂うとどっかの音がパツンと出なくなる。これ舞台やスタジオで起きたらそれこそ一大事だが、またその大事から逃げたくても逃げられない。土台が不安定な上にそれらタテモノがのっかっている訳だから演奏中は大地震に見舞われ下からは湿気という恐ろしい変動要因が押し迫ってくるから、刻々とそれらタテモノはその姿勢を変えようとするからしょうがないのである。が、である。それを許してパッツンと途切れさせても、ゴメンナサ〜イという訳に行かないのがこいつの持ち場だ。
その持ち場たるレパートリー。オケの中に入ると、こいつは全く「歌手」である。演奏的に目立つところは全部こいつの持ち場と言っていい。何といってもこれがソロを執らないシンフォニーは見つける方が難しい。演奏家としてはオイシそうだが、つまり、コケルということがあってはならないだろう楽器だから、種々なプレッシャーから逃れることが出来ない代物なのだ。湿気とメカトラブルの恐怖、自作という何の保証もない(自信に満ちて作れるならそれだけで商売になる)品質のリード、沢山の替え指とその段取りとの戦い、音は小さく甲高く通るから僅かな音程のズレも聴衆に聞き取られる。スタジオではキイメカニズムが発する音がマイクに入るとノイズになるので乱暴は禁物なところに消え入るような唱い込みが速いパッセージを伴ってくると神経のすり減ること此の上ない。

恐ろしいことを述べ列ねれば、そらあ普通はこんなのに手は出せないだろう。が、これにのめり込んで生涯をこれで生きる人もちゃんといる。苦しくとも辛くとも歓びがあるからだ。普通それは快適なステージであり、音楽の主なるところを総べて独占する立場であり、喝采だ。確かに紛れもなく楽隊のプリマドンナとして存在する音と仕事と佇まい。
其れ故学校バンド等でも人気の集まる楽器だが、保有数が少ないし、自前で買うにはブラス的にはちょとばっかり高い(一番安くても10万はする)し、メンテナンスがこのように大変だから大勢は抱え込むことが出来ない。

ゲンバ的には恐ろしい目に沢山遭うのは何をとっても同じだろうが、その現れ方に違いが有り過ぎるこれは、愈々素人向きではないと思われ続け、市民オケや学校ブラバンに普及し出したのは極々最近だし、これカッコイイから買おう、と楽器屋で衝動買いする趣味人も滅多なことでは現れない。


私の捕らえ方はチョト違う。基本的に私はこんな楽器を衝動買いし、吹いて鳴らす楽器はこれしか知らない体たらくである。
私は、これにのっかっている、ちいさなキイシステムがチャカチャカ動くのが好きなのである。面白いのである。だからメカニズムが多くて充実しているフル装備のフルオート楽器が欲しい訳。それにリード作り。これは、なんといっても遊べるプロセス。舞台なら絶対使えないだろうが、我が家の寝所に丁度良いオトヅクリが自分で出来る。旨く行くとシアワセな気持ちになれる。自分が求める良いリードが出来る迄は何日も掛かる。でもその間にでっかいものを付けたり外したりする必要はない。ナイフで微妙な削りをし続ける、試す、またやるの繰り返しだけである。没頭出来る訳である。繊細な楽器の調整や、お手入れも仕事が多いから楽しめる。
(メカニズムのことだけ追うのなら、サクソフォンがこれと類似したメカを持っていることは確かだが、あの野太さと大きさと、音的なシンプルさが馴染めず結局試しはしたものの罷めてしまい.....。)

但しこれ、買うっていったって気合いいりますよ百万だから。材木はデリケート、しかもそれに大層なカラクリがてんこもりだから、手入れを怠るとたちどころに「ぶっこわれ」るので、直射日光の下でなんて遊べないからキャンプにだって持っていけないしヨットに乗る時に余興にしたくたって危険で出来ませんわね。それも、これが多く求められない要因のひとつ。
反面プラスチックは安定している。丈夫だ。容易に手に入るようにしてくれると嬉しい。でもそこかしこでオーボエはオーボエらしくなきゃならんという、柔軟でない考えが阻む。それでヨットがこうまで凹んだってのにねえ。

もう一つ、考えてみて欲しい。管楽器を通してみて、C調の楽器が幾つある?。オーボエは代表的なC楽器だ。ドの指をすれば音程はどうあれ羅列上はドの音が出せる。移調も簡単だ。他にフルートというのがあるが音源がやたら沢山空気を消費して苦しいことこの上ない。オーボエは息が余る楽器である。うすっぺらい二枚のリードが振動すればいいんだから。ある意味これも辛いといえば辛いが、玩具にするにはその方が、なんぼもラクチンなんだ。何タッテ1時間以上のシンフォニーのレパートリーをブットオシでやる訳でもなし、どおせやることといったらお気に入りの曲のお気に入りのトコをさらい倒すだけだし音圧はラッパ程迷惑なもんでもない。ついでに、今時の人は何か始めるのに50万かそこらはざらに出すし、そう出来ないならPCなんて使えっこないのに皆使っているし、車だって高値の花でフエルモンカとボケナスが踏んでヘタックソな道造ってたらアレヨアレヨという間に空き地といえばモーターショウになる程増えちまって辺り一面大渋滞ではないか。誰かPCや車を難しいぞ恥ずかしいぞといって売ったか〜〜。面白いぞ楽しいぞって売りまくったろうが〜〜。

音楽は楽しい、楽器は面白いのである。楽しくて面白ければそれでいい。音が出ない難しさ?なんてもんは、時間が解決しますよ。おーぼえやってますよ、音出ないけど...パコパコパコ...。なんて期間は、私だってありましたよ二年やそこらはそんなもんですよ。でもそれで誰か痛い思いしますか。誰も怪我しません。免許も資格もイリマセン。自分が楽しいだけです。

Oboeは、そんなこんなでまだ少数派。だけど、存在が綺麗、動きがある部品が面白い、音がかわいらしいことが分かっている。工作も楽しめるし、散々遊んだ後に、気に入った何か曲が、また自分ででっち上げた旋律が、唄えるんだなこれなら音痴でも..。

だから、私これ好きなんです。

素人的には、それなりのものに至れば先ず一生ものです。プロやその類いの、やたらと演奏時間の長い人のものは、管が割れたりする位なら何とかなるものだが、問題はこのキイシステムの摩滅である。素人は使い倒さないので減るべきところが減らないので、その分持つのであるがお手入れがその可否を結論するのはいう迄もない。
しかし、これ、幾ら手入れをしても、使い続けるのに少しホネな問題がカラクリのメッキで、愈々薄くなって来てあちこち緑青が...。ということで、そのつもりでメッキを直しました。私は自分でやる人。銀より金の方が仕上が楽なので金メッキにしましたら、大変ゴージャスな感じになりました。お店に出せば4〜50万掛かるというが、成程、掛かる筈である。分解・素地・脱脂・鍍金に20時間以上、タンポ貼り直しに5時間程度、そして調整には通算10時間程度。オーボエはこんな立派ではないが自作したこともあり、一応この手が仕事なのでもあるが、時間一万円とすれば簡単にその額は算出される。しかしながら、買い替えるとなるとクルマとその目方を争うことは必至、当然生活に必要なクルマに優先順を与えることは当然で、つまりそう簡単に買えないのである。買うより安い化粧直しはオススメの重整備でもある。

付き合うには


 さて、楽器、格別こういうクラシックに土壌を持つものの種類はかなり多いしカバージャンルも広い訳で、ことオーボエは旋律しかやらないくらい、ある意味で出番が多い筈のもの、でも案外メーカーブランド的に「少ない」ことに気付くものである。

 オーボエがクラリネットほど売れるようになれば、クラリネットと同じような値段で売れるようになる....という人もいるにはいるが、実際に両方を作っているメーカーの人に言わせると、そ〜ですか〜そんなにねぎられるんならオーボエを作るのを罷めます....といわれる。

 21世紀に入り、稀少木材を使用するこうした木管楽器の材料の入手は困難を極めるようになっており、合成樹脂を用いた新素材の開発にも熱が入り始めた。先程のクラリネットでは、ブランドによっては木材より合成樹脂材のほうが高価なものを輩出している。楽器は材料ばかりで善し悪しが決まるものではないことがこのあたりからも窺える。

 オーボエは、工業親和性が格別低い管楽器、ということが、長い経験から分かっている。第六感的に作り込んでいかねばならない部分が随分多いのである。大きさも限度を越して小さい為微妙になる。弦楽器でいうなら、バイオリンと同格である。
しかしバイオリンは要求量が多い為、自然に需要は安定し、相応に技術者の量を必要とした。習い事としての価値も高まり、いろいろなステージレベルに対応する多くの概念と対応技術が必要とされているが、オーボエは、元々はどのアンサンブルにもひとつ、ふたつで充分なので、需要が薄く、技術者は喰えないからこれに専ずることを専ら拒む。パブリックな御教室をもつカルチャースクールもなく、稀に個人的に教授をしている指導者がいる程度で、耳にする回数こそポピュラー夥しいのに取扱は特殊そのものというエラク珍しい立場に追いやられている。

 先程の、数がないことの後先を論ずるなら、どっちもあり、なのである。シーンのほうで要求量が少ない「から」数が少ないともいえるし、そうして需要者が少ないからともいえる。しかし、工程そのものが工業的に収まりが悪い為に、元々そんなに作れないことが、何より先んじて重大なようだ。
 手回しのロクロで挽いていた時代は、製作者は今より多かった。値段も、勿論貨幣額面の価値は違うものの物価対比としてみると、今程高くなかったようだ。しかしながらその時代は、まだ今のような音蓋ではない、孔を指で塞ぐことが主体のからくりで、事後の調子は取り易かった。その後、今の音蓋つまりカバードキイと呼ばれる全閉蓋に抜き孔を設けたものが好まれるようになると、一気にギブアップしていったきらいがある。

 勝手乍ら決着させてもらうと、要は「からくり」を作り難くなったことで値が高くなり、そうなると買える人が限られ、買えない人は他の楽器に流れてしまい忘れ去られ、一層客層を狭めていったと言い得る。

 数が少ないとは、恐ろしいことである。
 況して、幾ら高いとは言え弦楽器程張り込まなくてもトップレベルの製品が買えるのだから尚更だ。
誰か、大家的な人が特定の銘柄の商品に傾注していると、何人かが靡く訳だが、それが簡単に「割合」といえる数になる程の総数なら、靡かれなかったブランドは、安売りにでも転じて一時を凌ぐしかない。でもそれが「流行り」程度なら孰れ廃れようが、「指向」ともとれる動きになると、顧みられるようになるには世代を跨ぐ必要も出る。事業は、その長期にはとても耐えられない。

 元々カバードキイはアドバンスドプレイヤー向きの仕掛ではなかった。指回りがおぼつかず、ミスが多いビギナー向けに考えられたもの。それがやがて改良され、幾つものリンケージが設けられると、逆に開放孔に作動環を添わせておく仕掛の方に違和感を感じる、カバード育ちの人を収容するようになる。カバードキイには工業力が一層必要で価格も増すが、使い慣れていることに先鞭をつけられている需要者は、高くてもソレを買ってしまった。やがて、ソレが当たり前で、孔を直に指で塞ぐのはニッチなマニアだけになってしまった感じである。性能的には、音孔から直接、何の障害物もなく音が飛び出る旧式のほうが通りも良く素直であっても。

 私の場合は、音孔を押さえる楽器で育ったものの、気付くとそれらは市場から消えていて、カバードキイしか求め得なくなっていた。特異な音の目詰まりや篭りに困っても、何とか克服されて、いや、慣れてしまい、後戻りの方法を知らないが、結局こうして、時代ごとの型や音色が追われていくのが消耗性の高い楽器の定めなのかも知れない。弦楽器は、もう流行りようがない程安定し、寿命も長いが、管は勿論、打楽器、ピアノについても、音色・音量そして扱い易さを時代ごとに睨まれて変わっていく。

 しかし、これからは旧式の楽器を持出してきて敢えて使うのもスタイルのひとつとして面白い時代だとも思う。誰も彼もが決まったブランドの「プロモデル」で同じような音を追いかけていてもつまらない。ここにも、そこにも、こんな声、こんな唄がある、というのが音楽なのだろうから、古いといろいろ不都合は増えるものの、不具合を捩じ伏せつつ、古くて新しい音色を聞かせていくのは、重ねた時代の財産を持っているからできる贅沢かも知れない。