このページは、見てもらおうと思っていないので継ぎ足し継ぎ足し、とても重たいです。

時計は集めていません。
今は、時計を身に着けていない人が多いようです。携帯電話には時計を表示する機能があり、さらには時計を見るより携帯電話を扱う回数が多くなったこと、そもそも携帯電話が高くて、本来時計に支払われた代金が携帯電話関係に注がれるようになった(これは時計に限らずかなり多くのものごとに注がれた可処分所得が携帯電話に廻っているから他消費が落ち込むと思われ)ことが、原因として気付くところですが、週休二日制も大いに作用していると思います。それだけ、時計に頼る日数が減っているのです。さらにはTシャツ富豪が一般的になって、ドレッシイな需要が宝飾時計の出番を激しく減らしています。曾ての中堅メーカーの多くが、クオーツショックで仕事を失い、統合されたり廃業したりしたことも忘れられない事実です。

私は時計の読み方については、字の読み方と同じく教わった記憶がなく、自然に読めるようになって、5才のクリスマスには時計を買って貰ったので、時計というものがいつも手許にないと不自然なので、気にしていると寄って来ますし、大した額ではないものはことあるごとに弾み的に買ったりするので、意識して集めるというより、勝手に集まるといったほうがいいと感じています。
時系列順に、手許で確認出来るウォッチといえるものを一寸載せておきます。

5才の冬に買ってもらったのがこの時計。ベルトは布だったので早くに傷み、その後いろいろベルトを使ったものの今はこれ自体使わないのであり合わせのを管理の為に付けています。りゅうずはオリジナルが1年位でぽろっととれてしまい、時計屋で今のものに替えてもらった記憶があります。案外丈夫です。信頼性はかなり高かったと思います。海に落ちても壊れませんでしたし、3年位はいつも身に着けていたように思います。

こうしたキャラクター時計は結構古くからあります。干支に何か柄を入れると見映えが変わる訳ですがそれがキャラなだけです。しかし1930年にウォルトディズニーとロバートインガソル(同名の時計会社創業者)によるミッキーマウス懐中が2年間で250万個売れるという大ヒットから以降、世界的に定着しました。


8才の夏頃だと思いますが、父がこれを何所ぞで手に入れて来てくれました。現況で傷だらけですが、その頃から変わりません。貰った時は布のバンドがついており、これまた厭に魚臭かったので早晩取り払い、時折入り込んで遊ばせてもらっていた時計屋のがらくたから写真のベルトを貰ってあれこれ工夫して付けたことを覚えています。

この時計はその時点から16才になる迄毎日使い、その後もちょくちょく使っています。

ウォッチのオーバーホール作業もこの時計で勉強しました。そういう意味でも随分役にたってくれた時計です。


と、同時期、やはり父が、たまにやったパチンコの景品でこれを手に入れて来て、いじっていましたが玩具臭いといって私に呉れました。
アメリカ製のウエストクロックスというメーカーのもの。ダラーウォッチという、日当で買える価格の時計を作っていた老舗です。カッチンカッチンと非常に五月蝿く、どうやら父はそれが玩具のように感じたらしいのです。が、実はやりようによっては歩みも良く信頼出来ます。
裏蓋を開くとこんな感じ。
緩急針は大きく動き調整範囲が厭に広いですが、これを幾ら動かしてもヒゲを調整する方がずっと早いし確かです。プレートはブリッジ迄一体で、ポストはかしめてあり分解清掃は出来ませんが、押さえのバネ板を外すとごっそり取りだせ、丸ごとガソリンで洗ってやればいいという設計で、メンテナンスも楽で、決して使い捨てではありません。香箱に蓋がなく、ゼンマイも綺麗に洗えますが、それは絶対切れないという触れ込み通り丈夫です。
アンクルのツメは鋼のピンなのです。この式のを「ピンレバー」といって、時計通からしてみれば玩具扱いです。しかしながら懐中にはよくありがちなアンクルの爪石の脱落はなく、こうした面でも故障の予兆を見せていません。
がさつな作りですが其れ故の信頼性が現れている逞しさを感じる時計です。ピンアンクルは元々目覚まし時計などのものですが、1868年と古い年代にスイスのロスコフが製品に使い始め価格対効果を確立後は、数々のその他名機の裾野を支える大きな需要を満たし、実際に時計を使った人の半数以上はこうした時計を使って暮らして来たのです。また、この手は一回巻き上げただけでは1日保ちきらないことがあり、「みつとまき(三百巻き)時計」とも貶されましたが、古い業者の話によればその訳というのがまたぞんざいな話で、携帯時計として精度を求めた軸受けがないのでそもそも油切れが早いのに、安いのだから直すより買え、といったものの、売物は長期在庫品が殆どで注油さえせず売っていたから持ちっこないということでした。この懐中も当時既に時計店にあるものではなく、玩具店などで専ら四百円位でみかけました。この当時でも四百円の時計とて洗浄注油が四百円で済む訳がありません。幼少の私には値段からして時計として動くとは思えなかったのですが、貰ってみると立派に働きますし時間を掛けて調整すれば日差10秒内外は問題なく出せます。未だ安価なウォッチ用機械がなかった為か時計店としては余りに安いこれらを売るには慣れと言うものが足りず、結局玩具扱いで忘れ去られていったものと思われます。

後年(といっても20年以上後ですが)、ウエストクロックス関係を少し揃えました。目覚まし時計二つ。このメーカーは目覚まし時計でも有名でした。左は50年代前半、右は戦前の年代です。

大きさ順にBigBen、BabyBen、 PocketBen、 WristBenとラインアップしていた同社も現在はNYLホールディングスとして、曾て同じような商品を作っていたIngrahamとグループを組んでいます。


高校1年の時、廊下のどん詰まりに置いてあった棚に押し込まれていた大量の落とし物を生徒会の出費の足しにする為のバザーで処分する企画をした時に百円だかで買いました。世話人が先取りするのはルール違反です。売れ残りだったので買ったのです。百円でこの時計が売れ残ることが今でも疑問。

ガラスが薄いので先のものより軽くフィット感が良かったので、その後愛用していました。

この頃は仕事もしていたこともあり、度々いろいろな時計を買いましたが、売ったり仕事で世話になった人にあげたりと専ら身に付かず、30才くらい迄は結局これがメインでした。


ここまできて漸く自分で買ったものが残っている訳です。定番ロレックスですが合型、腕が細いのでフィット感重視で、自分の為に買ったものです。

合型にした理由はそれだけではなく、男持ちを普通に身に付けていると、大事な仕事を手伝ってくれてまあ稼がせてくれた人にあげなきゃならん動きになりにくかろうという狙いもありました。
別段椀飯振舞するつもりはありませんが、横槍や額面浮気で仕事が泳ぐ業界だったので、そうして気持を惹き付けておく必要もあったのです。

しかし、これを買った後は不思議とそういう必要がなくなり、同時に商売は毎年半分になっていくことになります。景気が悪くなったのですね。

これって不況の切っ掛け?かしらん

ロレックスは今でこそ宝飾時計メーカーの一員のようですが、異論を厭わず申すなら元々はDOKACHINのドレスウォッチという分野で割り込んで来た新進メーカーです。米国製懐中時計が席巻する時代に展開しましたが、元々腕時計が尚早な上、当時のスイスは同族意識が強かったので英国資本のロレックスは英国を営業拠点と主張して拡販するという、今なら失敗といわれかねない起業でもあり、また肝心の目的仕向先である米国が長く大きな関税をスイス時計に課したことから当地での販売には割高感ばかりが募ったもので、成長の切っ掛けを60年代初頭に米国が関税率を下げる迄待つことになります。パペチュアルシステム(全周自動巻)は、一押しのオイスターと呼ばれる気密ケースが竜頭の捩じ込みで性能を出す為に、巻き上げで緩める必要を制限する為に必要だっただけで、初期のパペチュアルは手巻きの上に「段重ね」でネジ留めするような仕掛(お陰で裏蓋膨らんじまって)でした。今では普通にパッキンで10気圧程度の防水なら可能になっているので、その程度の防水性の為と考えるならオイスターは無用です。しかしながら数十万円程度と安価で三大時計に匹敵する安定精度が望める割安感を鑑みると、今の私等には安心好適な一個は欲しいアイテムかも知れません。結局貧乏性なのでしょうが、再販価格も安定していることも加えて検討するなら、しょうがない必須アイテムなんでしょうか。
これほどの精度の機械時計を、コレ程中古が出回る迄量産していることが一寸疑問でもあります。
ちなみに私の場合このあとこのブランドに手を出していませんが、それは、この時期極一時的に「特権」乃ち「整備・修理代金が半額になる天下御免の保証書」を発行されたことにあります。このブランドの部品は門外不出品(でもないようだが)が結構多く街の時計屋さんが専ら整備しないのですが、メーカーサービスは結構な額です。それが半額だというんだから、特権が得られなくなった時期以降買おうと思わなくても当然です。

その後父が鬼籍に入り、遺品として受け継ぎました。これは先の青いセイコーを呉れた時に、父が勤続20年の記念に会社から交付されたものです。後に聞いた話では、父がこれを貰ったとき、私にも時計をやろうと思い付き、誰だかから使わなくなったものを貰ってきて私に呉れたのが先の青いセイコーだったようです。

これはその後に動かなくなり、後のアルバを買いましたが、私が受け継いだ後分解してみますと、こはぜ車が欠けていたのが噛み込んでおり、知己の有名な時計店で部品を見繕ってもらい修理し、今は調子よく動きたまに使っています。

こういう記念品を贈る会社って最近聞きません。つまりそんなに長居して欲しくないってことなんでしょう。人までも使い捨てになりましたね。なら捨てられる前に捨ててやる方が相手の為になるかも知れません。みんなでやればどんな強気のソレも潰えます。そういう不逞な輩は餓えてもノシておいた方が将来の、今の子供達のタメです。

先のLMが動かなくなったというので、もっと正確で水に強いのをと買って使っていたのがこれ。やはり遺品として受け継ぎました。

私は父がこれを求めた時、この「アルバ」ちうのが一寸腑に落ちず、何故またと訊ねた記憶があります。しかし父は至って真面目に、前から目を付けていたロードクオーツを買う積もりだったところが、それは生産終了で、同じ格好の侭アルバになってしまっていたので、デザインと性能優先でこれになっただけで別にけちった訳ではない、と答えて寄越しました。

それなりのコダワリはあった様子で、少しばかり安心したことを思い出します。30年経ちますが正常に稼動しています。


これも父の遺品の中にあったもの。生前は見たことがないので、使う積もりで買った訳ではなく、恐らく誰かから貰ったかなにかで手許にあって残っていたのでしょう。

銘柄はまともですが、ベースメタルに鍍金です。この銘柄はこんな造作はしないので所謂パチもんだと思います。しかしキャリバーはETAのクオーツで、しっかりしたものです。半年合わせなくても目立って時間はずれません。

かみさんにはオジンクサイと不評なのですが、そういう自分もいい加減オジンですから、こういうのが一つくらいあってもいいので取り置いています。


な〜んの変哲もない安時計です。元のバンドもありますが軽い感じの金物なので安々感倍増の為、別のにしています。

これも父の遺品の中にあったものですが、やはり生前見たこともありません。水入りの跡もあるので、やはり何処かから回って来て居着いたのでしょう。

遺品については処分はしませんのでこういうものでも取ってあります。一応元気に動きます。


これも遺品ですが、これははっきり生前に、拾ったものであることを聞いています。

特に興味もなかったのですが、父の他界後、やはり動かしたくてばらしたら、錆び付いていたことが分かりました。修繕して今は元気です。家人には格好悪いといわれますが、変に気に入っており、やはりたまに着けています。


ロンドンのアンティーク時計店で、鑑定がはっきりしていたので求めたもの。ジョンハリソンというリバプールのメーカーが1831年に製作したもので、船舶用クロノメーターで有名なメーカーの品なので気に入っています。しかしながら値段は店で一番安いものです。

カギ巻き、カギ合わせ、ゼンマイは香箱から鎖引きで動力を調整している方式 (Fusee)、シリンダー脱進式が主流の中で早々にレバー式を用いています (Jeweled Massey Roller Clank) 。ケースも時代と合っており(1809年チェスターのHM)、状態も良く日に15秒以内が出せます。

ホーロー一段下がりの顔は手書きです。この頃の時計の売り方は、機械、顔、針、ケース全てが別売。ケ−スにつける為のベースプレートをどうする、どこをめくってヒンジにするなど、時計店で都度加工を設計されるものだったそうです。

出車といわれる、外付けのテンプはプラチナです。受け石は船窓式という大きなつくりで、ダイヤモンドで出来ています。二百年近く経っているとは思えない精度を保っています。この年代の英国懐中の名物はダストカバー。勿論埃除けですが、これでも万全とは言えなかったそうです。
出車は保守性を考慮してのもの。天真は凄く太いので何時も注油せねばならんのですが、機械の外にテンプを出しておけば、他の部品に邪魔されず天真軸受けに油が注せるので便利だからだそうです。振動数は毎秒4回とクロック並に遅く、テンプの振れ角は90度と狭い為、激しく持ち歩くと結構激しく遅れます。

何故に鎖を介して力を伝えるかというと、ゼンマイが弛んで来ると引きが弱くなる出力特性を一定にする為といいます。その後テンプを小さくして振動数を増すことでその癖を回避出来るようになる迄は、これが最も信頼出来る方法と信じられていたようです。

機械はケースから簡単にめくり出せます。今なら、がっちり閉じられたケースを開くこと等素人には出来ませんし、ユーザーが開けたら保証しないといっているメーカーもある程ですが、この時代は誰の手であれ、四六時中メンテナンスをしていなければならないものが時計という機械でした。振動数が遅く振れ角が小さいので動くと遅れますが、そうした生活サイクルの変化に合わせての調整もまめに必要です。今のように振動を多く振れ角を大きくされているものなら影響も少なく出来ますが、この時代は普通はこうだったので、機械を閉じたまま、動作に任せることは出来なかったのです。


腕に比べれば懐中は恵まれています。普段は人から見えないからです。昔の持ち主は、単純に自分の、要求する精度が出せるか、好きな形の側か、干支の柄が好みか、時間袷の方法巻きの方法などで選べて、人からどう見えるかは別問題だった訳です。でも今はどうでしょうか。携帯電話より重い懐中を持つ人がどれだけいるのか。肌が弱くて腕を着けられない人の他に需要はないでしょう。
そうして収集アイテムになっている懐中は、レイルロードを除けば、精度が幾ら良くても値段は上がりません。側が金だったり、美麗な珍しい干支は値を付けます。機械に関しては、時計作りが工房だった時代が長いので、有名作家のものは高く、無名作家のものは下手をすると無銘のものより安かったりするのが普通です。
そういうところに得心がいかなかったので、これが寄って来る入口を閉じました。

レイルロードは幾つか求めたものの、どうもバカ高いものが胡散臭くて手にしなかった為か、状態の良いものになかなか当たりませんでした。これは外中性能共に最も気に入ったので、整理しても取ってあります。

名機ハミルトン992B、無骨に逞しい音を立てて回ります。1944年製で比較的新しいこともあり、吃驚する程の精度を出せ、動かし出すと3日で月3秒+に落ち着きます。クオーツ真っ青です。

鉄道は1870年頃から、安定輸送と荷や利用客の増減に伴う増減便を、細かくダイヤを割り、待機待避にて上下便を擦れ違わせる為に正確な運行時間管理を乗務員に要求するようになりました。何時何分に何番の待機線に入り対向列車の通過を待つというのが運行表の随所にあり、間に合わなくてはならないが、早くてもいけない、一本の線路の上下共用を全うする為に、年々高い精度の時計を持たなければ危なくてやってられなくなっていくのです。

いろいろなキャリバーの懐中を買いましたが、私的にはこれが一番です。精度だけでなく、完成度から見ても、アメリカンレイルロードウォッチが最高だと思いますが、これは度を越した逸品です。私のはコレクションではないので、一番と思うものだけを残して後は処分しました。振動数は毎秒5回と普通の懐中並ですが振れ角が270度と大変大きく、運動による影響を受け難く、温度調整式テンプと非帯磁ヘアスプリングが高い精度をサポートしています。
ばかに大きな数字、時針と分針は違う形状、強烈な動作音。現代的にはどうみてもお洒落ではないのですが、ガッテン的に性能を重んじると、時代的にはこうなります。

古い時計の風防にガラスではなくプラスチックが使われているのを見て、後年安いものに替えられたと思っている人が多いようですがこれは大きな間違いです。プラスチックは1890年代の実用当初から40年程度はナイロンと呼ばれ、色を付けた後に強度を出すことが難しく、専ら着色せず使う用途にのみ用いられましたがそれでも夢の素材でした。単価の高い時計には、軽く、上手に作れば自分の張力で糊の必要なくベゼルに固着し、傷や衝撃に強い為、挙って使われたのです。以後ガラス風防は安価で加工の楽なアフターパーツとして時計店の店頭での交換用として売られましたが、割れて飛散しないよう裏にエナメルを塗ったりしたものもつくられ、それなりに工夫されましたが、時計風防にガラスが再び採用されるようになるには、より強いミネラルクリスタル・サファイヤクリスタルといったガラスが登場するのを待つ必要がありました。
かみさんの祖母の亡夫は戦前戦後に掛け東京三鷹で時計店を営み、戦中は横須賀鎮守府で時計修理師として徴用を受けました。その祖母から、時計のガラスはしょっちゅう割れたり糊が剥がれて失いして取り付けに持込まれたと聞きます。代金は戦後期でも一枚10円受け取れたといいます。ガラスの仕入れ値は1枚2円だったそうですが、専らその売上を持って買い出しに出かけたと聞くと、往時の商店の暮らしを垣間見ます。プラスチックの風防の時計はその時期専ら高級品で普通の人は持っていなかったとのことです。

戦前1940年のロンジン。今でいうならボーイズサイズなのですが当時は別にサイズでどうこうということはなかったようです。有名なウィームスモデルに使われて居るものと同じキャリバーのこれはウィームスドレスといわれているようです。私所有の現在唯一の金時計で、整備もし易いので正装用にとってあります。

上の話の祖母から伺うには、このころの腕時計でロンジンはウォルサムと並んで最も精度が高い高級品だったということです。掃除に持込む人は皆洋行帰りだったり官吏だったり何処ぞの社長だったりと凄いお歴々で、都度感心したものだそうです。ところが懐中になるとスイス製は一蹴され、高級品は皆アメリカのイリノイとか、ハミルトンを好んだといいます。今のようにブランドだけ先行するとはいかず、ユーザーの精度に関する口伝で時計は選ばれた時代だったようですが、一般人の手に届くものではなかったのです。


米軍の正式は最近はプラスチック側です。マラソン社がスイスのラフォードションで作っているこれは、スペックコード上5年で使い捨てのオーダーですが電池を替えてやればずっと使えます。防水性も耐衝撃性も高く、何より冷えきっても性能が落ちませんのでヤマ用に便利します。夜光はトリチウムガスを管に封入してあり、真っ暗になるとぼんやりと見えますが別に弱まった訳ではなく、明るすぎると敵に見つかるからと試行錯誤の末この明るさになったそうです。

幅が42mmと大きいので腕には向きませんが、ジャケットの上から着けるには軽さも相まり好適です。

クオーツ時計は竜頭をひっぱって電源を切って保管します。油が固まるとか言われますが、そういうトラブルは経験したことがありません。


海の生き物の干支の、アクリルケースのこれは、仲間内からどっさり回って来たものです。

何故か見切れず、電池をちゃんと交換して、極稀にですが使っています。

貧乏性のようです。

クオーツ時計の電池の予備を買うのには全く閉口します。同じ型番の電池をうっかり何度も買ってしまう。時計の修理なんかよりこういうことのほうが大変です。


数々、ダイバーズウォッチというのを試しました。オメガ、ロレックスも勿論です。しかし何一つ身につきません。兎に角デカイ重いはだめ。これは海仕事に必要な強力な防水目当てに求めました。太陽電池なので電池切れの心配がないばかりでなく、異常な高温で画面が真っ黒になっても冷えれば元通り、異常を一切示さず性能にも影響ないというタフさから、そういう時に使っています。

ただ、元々セットされていたバンドはゴミなので、柔らかく丈夫な一張羅を張り込んで、オイルスキンの袖の上から巻きます。

タイドグラフは意外に正確で、橋を潜ったり浅瀬を交わす時に役立ちました。腕を傾けるとライトが自動的に点く機能は、夜間航行に便利します。


時系列的にこのころ結婚しまして、かみさんとのペアウォッチを仕込みました。水仕事でも壊れないように強い防水のを選びましたが、当のかみさんは時計でかぶれやすいので滅多に使ってくれません。ペアの片方だけボロボロになっていると格好が付かないので、2人一緒に使える時しか使わないことにしました。
この頃はまだ景気も良くて、それこそロレックスも考えられたのですが、生憎その営業方針がDIY向けではないので、材料屋回りで部品を得易いものにした訳です。ロレックスが部品を普通に出してくれるなら検討首位に回しても良いですが、現況では一個あるし、もう勘弁てところです。

インドの時計。

こだわっている訳ではなく、かみさんとおつき合いがあった時に、何かのお礼にと貰ったものが切っ掛けで、ふと目にして求めました。

シチズンのキャリバーに酷似したものが使われていて面白いです。性能は東京オリンピックの頃の日本のものと変わらないかそれ以下です。見た目もそんな感じです。

切っ掛けになったのは、時計の後ろのプレート。

貼付けてあるキャリバーが、この時計のキャリバーそのものなので、現物がなくてはプレートの価値が損なわれますので探していたのです。

プレートは、時計店とは関係のない何処か画材店かで売っていたそうです。もっといろいろ、かわいい柄のもあったんですと。象の絵の上にポストイットを張って、備忘メモスタンドにするもののようです。

しかし、機械の仕向け先が手に入って、大層安心致しました。


荒っぽい仕事をする時用に百円ショップで三百円で買いました。金額に納得がいきませんが、割にいいものなのです。

百円ショップの難点は、買ったものが役立って嬉しくなり、もっと欲しくなって改めて出向くともう品番落ちになっていること。
つまり、これと思ったものは買い占めろという意味のようです。それには何度も困らされています。

百円ショップなのに三百円というのも一寸アレですな。


キノトという、百年位前にスイス・ジュウ渓谷にあったメーカーの製品です。五百円位で買ったのですが、幾ら直してもいい歩みが得られず、一応ウゴクだけの代物ですが、顔が気に入っています。
昔は結構高かったらしいのです。バンドは珍品ですがある程度の数を持っています。

ガラスは失われていたので、やはり有名な老舗時計店の百年前の在庫の中にあったものを譲ってもらってつけました。流石老舗!と言いたいところですが、店主以下全員がこのガラスの存在を知りませんでした。じゃあ何故私が知ってるんだ?と思いますが、その店に通い詰めていた頃にちゃあんと見たのよ在り処を。お店の人は私がガラスの引き出しを開けるのを見て、初めて存在を知ったそうです。何千個も在庫されてい乍ら、今迄この手のガラスの交換を、部品がないと断っていたと云います。そういう頓珍漢が大好きです。

この、バンドラグがループの作りのものは本来極黎明期のものです。腕時計普及期の20年間程度はバンドメーカーというのが多く望めなかったのです。未だウォッチの常識が懐中だった頃の話で、小さくて振動や衝撃に弱く水濡れの危険が多い腕時計は特に主要な需要者である男性(労働者・この時代まだ多くの国で女性の就労を禁じていました)には迎合されにくいものでしたので、腕時計も男女の持たせ向け区別はなく、懐中よりうんと小さいという一面を商品価値とされたのみで、バンドは服飾や宝飾関係のテイラーによって個別に作られることを目されたのです。先の祖母の話でも、その頃は男は懐中、女はこれかもっと小さな腕が主流だったそうで、男で腕をしている人は今でいうホワイトカラーか教師が専らといいます。
それにしても、女の人が格別職を持たなくても世の中が回っていた時代って、男尊女卑とかそういう話はさておき、随分と恵まれてたような気がします。
この手の側は丸みを帯びたパリー側と、角の立ったコイン側に大別されますが、今はパリスカンとかバリスカンと纏めて呼ばれます。これらはありとあらゆる材から作られました。ラグの間を棒で繋ぐと部品点数が増すこと、当時はバンドをラグにつけるバネ棒が高価でかつ信頼性が乏しかったことが挙げられるものの、一番の理由はその加工そのものが高くつく上、バンドに専用性が高まってユーザーの自由度が損なわれたのです。パリスカンなら、布でも革でも工夫次第で時計を腕に着けることが出来ます。格好は厭わず時を知る機能だけを求める知恵ですね。このようなケースの時計は、今状態よく残っているものは実に稀です。先ずここ50年で整備を受けた様子があるものが全然ないですが、このタイプのケースがその後の時代のファッションに合わせ辛くなって諦められていたからに他なりません。近年製のものでも、貴金属側か余程のブランド品かでないと、流行で忘れられるのは慣例ですね。

メヂスというやはり、百年位前にスイス・ジュウ渓谷にあったメーカーの製品です。こちらは時計の方は五百円くらいだったのですが、防塵ケースが万としました。

バンドもこの手は高い。たくさん買っても半分は劣化でアウトです。大抵ラグ通しの細引きが乾燥で切れますので、革を切って作って直します。

キノトと同時期に買いましたがこちらの状態はすこぶる良好で実用上全く遜色はありません。

アンティークというのはそのもの命で何か補充が利くものではない上、此所迄来るともう一般の時計店はサービスを断るのが通例です。旨くいかなくても金は掛かる為、妙な仕事は請けられないのです。

結果的にオーバーホールや調整程度は自分で出来ないと、安いアンティークには手が出せません。
ちゃんと仕事を習う環境に居ないと、この程度のものでも実用程度に持っていく為には三十年からの経験は必要になります。
こつこつやってきてよかったなあと、実感するところです。
いや、貧乏性なのでしょう。

防塵ケースは軍用と誤解されていますが一般的な店頭グッズだったそうです。当時は道の殆どが未舗装で砂塵濛々が普通ですから時計の埃害は常に憂慮されたのでアイデアとしては尤もだと思いますし、実際懷から時計を取出す場所さえ選んだと聞くと、一寸外仕事が多い人なら欲しくなったでしょうね。この革バンドも汗から時計を遠退かせるアイデアだったようで、別に軍用という訳ではないようです。そういやぁ、空調も扇風機も無かったんですから...。


埃の話で先の祖母の話を思い出します。当時やはり店頭は砂塵濛々で、冬場はいいが夏場は戸を開けているもので、時計を開けてする仕事は夜10時過ぎに店を閉めてからぼつぼつとやりだし、2時3時迄は大抵掛かったそうです。そのくせ朝5時には駅の時計に「標準」の掛け時計を合わせて通りをいく人の時計合わせに間に合わせなければならず、祿に寝る間もない仕事だったのが窺えます。

娘が生まれましたので、大きくなったらやろうと思って、表示額の倍も出して入手したものですが、肝心の本人は5才になってもまだ時計が読めず、さらにはいつもいくテーマパークで買ったものが気に入っているようで、どうやらこれは「コレクション」になる模様です。

いっときますが、集めては居ません。

NOSの完品でしたがバンドが傷んでおり、替えました。一応OVHもしました。

40年前の3800円は、子供の持ち物とは思えません。



四十年を経過して、全く劣化を感じません。材質もトップクラスなんです。色も性別に関係しないチョイスで最高ですね。
値段も凄いですが。

これもそのつもりで同じ出所から、万と出して買いました。結局同じ保有状況になるようです。

これの素敵なところはバンドに尽きます。かわいいというより、機能美に感涙です。スナップのオスを、適当な孔にねじ替えると長さを調整出来、スナップを外してもループになりますので、脱着の時に落とすことがないように出来ているのです。
名札もナイスです。ベリーグッドセンス、さすがは世界のセイコーです。こういうものを作り続けることは出来ないのでしょうか。

スナップを外しても、大人の手は通りません。お子様専用なのです。


義理の叔母(未亡人)から頂きました。御主人の遺品だそうです。

かっちりと、動きませんでしたが、組みバラシがしやすいこれはいとも簡単に、風呂上がりにチョコチョコっとした作業でもって復活、なが〜いゼンマイはやんわりと時計を動かし非常に安定していて高性能です。

いいものを作っていたのですねオメガは。これなら百年大丈夫です。

そんな訳で、近所に新規開店した時計屋さんでお祝に3500円のバンドをお買い物、奮発しました。

遺品を家系が使い続けることは素晴らしいと信じます。大きなのっぽの古時計ではありませんが、幾世代も、その人の逸話と共に受け継がれて欲しいと思います。時計は特に、最初に持った人の精神性を、時を刻むことで共有したものでもあります。

元の持主様は、70年頃に香港旅行に出かけた折に求めて帰って来たそうです。このころスイス時計は大きな物品税が掛かっていたので内地で買うのは躊躇われ、専ら海外旅行の時に非課税で買い求められたものが多いのです。この頃のシ〜マスとなるとロレックスのパペチュアルデイトより高価でしたが、買い戻った後の部品供給のことを考えたら、大手が代理店を務めていた(シ〜ベル時計)オメガの方が選ばれ易かったので、海外旅行=デューティフリー=オメガシ〜マスという構図になり得たのです。ところがコンステやスピマスではむしろ逆転で、より高価なものを買える人にとっては高い物品税等何所吹く風だったんですね。

オフハウスというお店で、ガラクタの中にありました。三百円。

三十分程で整備完了。ばっちりです。バンドも純正です。

良い買い物です。

これは30年程前に六千円位で売っていたのを覚えています。触指は動きませんでしたが。このクラスの製品はこの時代、今でいうところの合型のような大きさの側のもあったので、キャリバーと側の間に挿し枠が入っていたりします。それを指して安物というようです。これにもポリの挿し枠が入っています。



タイムゾーンを渡り易いようにという仕掛が逆に病源になってました。直すと買い値を越すので普通はごみになるのです。余計なことはしない方がいい。変な思いつきが身を滅ぼす好例。

最近廻って来たものです。20数年来の付き合いがあった友人の遺品です。親戚の方にありましたが、どうも何度修理してもたまに時針だけが止まるということで諦められて参りました。元々この型は日送りが悪戯をして時針を止めてしまうことがままあることが分かっているので、日車を送りごとトッパラッテ投げてしまいました。
格別重たいものです。バンドを軽いものに替えれば日用出来そうですが構造的にも為し得ないので、仕方ないから置時計になります。
この時期のオメガと来たら、終っちまうのではないかという程売れなかったんです。5万円くらいの、安売り雑貨店のレシ−トと一緒に回って来ましたが、ラドーのように事実上終った(職人さんや運転手さんにあげる為1ダース1万円でダン箱一個買いました)とこもあるので、まあオメガはツイテいたんですね。

兎に角、私の手許には遺品が多いのです。買ったものなら処分して廻してまた新しいものを追えますが、遺品は持主の顔が浮かんで来るものですから、そう容易く売り飛ばしたり遣り飛ばしたりは出来ません。


この時計は9型、機械の直径は20.5mmです。先の似たようなのは10型、同じく22.8mmです。これでも男持ちのサイズとして通用していました。腕巻時計に紳士婦人の区別ができるには、さらに30年掛かった訳です。

これもジュウ渓谷にあった会社のものです。コメットというメーカー。不動品を千円で買い、十五分で直りました。

まあ、これも良い買い物。

シャープな感じの小さな顔が可愛らしくて、装着感もいいです。小さい腕時計は好きです。
しかしながら、時計よりバンドの方が遙かに高いのがこのあたりのお品です。このバンドも戦前のデッドストックです。

銘柄からするとやはり百年近く経っている模様ですが、こういうものを自分の手で動かせることは気持良いことです。

スイスのお時計づくりですが、そんなに昔からの伝統工芸ではないようです。十九世紀後半迄は英国やフランス、その後米国が世界の時計の主要産地で、スイスが台頭し出したのは二十世紀初頭からと見られる様子。特に名を覇して来たのは上の時計のあたり、1900年頃のようで、この頃スイス国内には200以上のメーカーがひしめいた模様。記録には、1880年から1920年の間に国内だけで八千もの時計の銘柄が商標登録されています。その後30年程度の間に急速に集約されていくようですが、それは廃業した為ではなく、大きな需要に応える為に幾つかのメーカーが規模を広げるに迎合して近隣の工房的メーカーの経営者以下がこぞって「就職」するという、一種の取引だったと聞き及びます。
戦後60年代終り頃迄、数多く見知らぬブランドのスイス時計が見られるものの、こちらは旧型のキャリバー等を使い、材質を落としやや完成度の下がるケースに入れて一山幾らという感じで売ることで部門が独自に稼ぐ為に与えた臨時の名称で、企図として継続するものではなかったようで、70年代のクオーツ発生以降はこういうチャレンジも無くなりました。
つまりスイスの時計なら何でも勘でも一流だという訳じゃないってことです
元々スイス時計産業は冬場の季節事業で、国家的に牧畜や農耕が閑散する積雪期の給与所得を求め易くする為に、素材費が掛からず工賃が稼げ、嵩張らない製品づくりを求めた末に見い出された産業です。前世紀中盤迄は時計の価格は宝石軸受けの数で決まる程度のものであり、極一部の上級品製作者でもない限り治具を工夫してキャリバーを量産していました。そのためケースメーカーとの間で互換性を出す為にキャリバー外径を規格化していた訳です。規格寸法を型とかサイズと呼び、 腕時計は8型と10型が多くつくられ、懐中は16・17型が多いです。 米国製懐中時計は当初12サイズが多くつくられましたが、大事故の後出来た法律で鉄道に使われるものが18サイズと指定され(後年16サイズに改まり)ましたので、その後多くの男持ち懐中時計は大体それを踏襲されました。
型(ライン)とはスイスやフランスで普及した呼び寸法であり、サイズとは英米等のそれです。キャリバーの外径であって側の大きさではありません。
時計がキャリバー・ケース・バンド・プレート(文字盤)といった専業のコラボで作られた時代は必要だった規格も、それらがひとつのマニュファクチャと考えられるようになった現在は規格は必要ない訳です。


時計が千円バンドが二千円。しかし修理に一週間。調整には一ヶ月以上掛かっています。

四角い手巻き。大正期のスイスのULTIMA。誰も知らないと思います。40 x 22mmで時代的に大きめの、完全に男持ちの当時としてのドレスウォッチですね。ダイヤルは手書きで、ちょっとずれてる感じも温かい。ケースはステブラの板金もので完全に中空、極軽量。古時計特有の苦労はありますがいい歩みで動かせています。バンドは自作したものの余りに軽すぎ、スイス製のを改めて買いました。
ガッチリ固着して手許に来ました。ここ50年は使われていなかった模様です。

古時計は、過ごして来た年数分人手が入っていて面白いのです。これもガラスが後の手で替えられたようですが、きっちり研がれてぴったり嵌まっています。

四角い時計は遠い目盛に合わせ辛く、正確に読む性格の人にはチョットとなるでしょう。曖昧さはおおらかさ。そういう人格表現も出来そうだが、バンドに繋がる一直線な風景はむしろ究極のおしゃれ心をくすぐるのかも。


時計バンドは何で出来ていようとそのマッチングと装着感については価格相応です。安いものは時計の佇まいを台無しにしてしまいがち。しかしながら時代のセンスは価格とは無関係で顕著に現れ、昔っぽくつくるというのは結構無理なのです。「デカいアツい」今の時計だと高級品でしか得られない風情も、小振りが好まれた昔のものになら、安くても今風であればキリっと引き締まった風景になります。

腕にせよ懐中にせよ、時計を見る時は先ず側(ケース)が目に入る訳です。中身の機械の云々に関わらず、側の見かけ次第で時計の扱いが変わって来るのは否定出来ません。7石の並品でも金側であれば資産価値を認められるものの、15石の3姿勢調整済機でもニッケル鍍金等の側では実にぞんざいに扱われる訳です。
側作りは機械作りに並ぶ難作業です。材料は作り易さ、復原性の秀逸と腐らないことから金が好んで使われますが、例えば日本を例に取ると、輸入品に高額の関税を掛けて、かつ金製品には格別の物品税を掛けてと、ある意味狙われ易いのが貴金属でもあります。これは強盗や空き巣より質が悪い。幸い時計はサイズが規格されていたことと、時計が装身具に出来る人は極めて稀だったこともあり、サイズに合わせた側を内地で作って、物品税はしょうがないものの関税だけは回避という方法を選ばれるのです。金は関税も物品税も含有率で税率が上がりましたので、錆びにくさを求めるだけなら9金とか14金を、美観を求め丈夫さも求めれば18金が使われましたが後になる程税も高く品も高くなりました。金を使わない場合でも同じことですが、こちらは物品税が格段に安いので、金側とメタル側では何倍もの価格差がありました。コインメタルという今でいう白銅、専ら鍍金がされるベースメタルという真鍮、ステイブライトと名称される鉄が一般的です。鉄は生鉄ではなく、厚板の状態で風雨に晒し錆び切らせたものから削り出したり圧延したものを板金して、錆びにくい製品としました。

競りで入札したまま忘れていて買うことになったもの。といっても六百円。19x24mmと小さく本来女持ちなのだと思うものの、珍しい鎖のバンドがとても大きなサイズで、切り詰めて女持ち化してしまうのはちょっと惜しい。そこでこうしてじゃらじゃら使ってみようかなと。
家人に異様に評判が悪い品です。いやらしい、見辛い、いなかっぽいなど。
でも、35年前誰かが選んで買い求めたのだから、そんなにハズレていないんじゃないかとは、思います。

なかなか、いい機械が入っています。歩みも確かです。結構新しいものなので当たり前といえばそれまでですが。


金色のパチもん、人詠んでキンパチですわ。
今日お友達から貰ってきたはやりパチもんの腐った中身が案外生き返ったもので、長年ガラクタ入れにあった中身が壊れて抜いたキンパチの側に入れてやりました。貰って来たのは、水が入ったらしいのですが、もう10年以上止まっているというザマでも生き返るんだから大層なもんです。

サビとりが大変でしたが掃除とヒゲ直しで+10秒/日。あらら。
中身はMIYOTAとある機械です。世界の時計キャリバーの40%以上のシェアをもつ日本の名ブランドです。Japan Movt.とある時計のほぼ全てはこのブランドの機械が入っているといっていいようです。個人的にはラベルフェイクの腕時計にカネを払う気はありません。何故なら、こんな凄い機械を採用するなら何もラベルをフェイクしなくてもいいじゃないかという気がするからです。ミヨタの機械は何処の時計店でも買えますしクオーツもぜんまいも性能は良いので、がらくたになった側を使っていろんなのを作ってみるのが面白そうです。器用な時計屋は古い時計の実働レベル修理にも使っています。

集めていないからこそ、こういうモノの必要が逆に生じます。
この他にも、店が開ける程の資材と工具があります。高価なオイル類は宝物で、猛烈な種類を輪軸のトルクに合わせ使い分けます。

これらを存分に使いこなす訓練も、必要です。私の場合は4才から目覚まし時計で始め、腕をやれる迄5年掛かりました。十才頃から直した時計は数千点になります。

DIYが難しいクロノは持ちません。


ウォッチをやるならこれは必需ですね。タイムグラファーというマシン。昭和41年製ですが信頼の逸品です。携帯出来るセットアップが素人には猛烈に嬉しいです。
手許にある時計関係品の中でこれは最も高価です。しかし、これがあるとないでは、作業の完成迄の時間に何十倍もの差が出ます。今はデジタルのがありますが、記録紙が残るこれは感覚が掴み易いし、記録が残せるところがまたいいです。振り乱れも分かります。

集めている人は、こんなものがなくても何も出来なくてもいいです。業者に頼んだ方が早いし、安全です。


古時計の再生で心に留めておくべきは、新しいもののような手順や方法が役立たないことが殊の外多いこと。セラックやロジンで固定しなければならない受け石があったり、バランスが取れなくなったテンプに蜜鑞を乗せて乱れを取る等、普通では考えられない手段が次々要求され、挙句の果てには幾ら洗っても何処かから必ずまた現れて輪列に噛み込む塵埃。へこたれていては、動かないのが古時計です。苦労して動きだしたとしても、果たしてそれが長期間安定して(凡そでも)正確な時を刻み続けるかというとまた別の問題になります。受け座の中で長年を掛けてプラスチックのように固まった油は幾ら洗っても取り切れませんので、新しい油に剥がされて泳ぎ出せばそれがブレーキになって機械を止めます。長い間に回った腐りは突然ぜんまいを切り歯車を割ります。幾つも求めた時計の中にはそうして遂に永久停止に至ったものも幾つかありますが、動き続けたとしても、計時上問題はなくとも操作上は問題ありという部品が手に入らず誤魔化し乍ら動かし続けることも、あります。

腕時計の起源はさっぱりわからんそうなのですが、1600年代終り頃に18mm位のキャリバーの時計をブレスレットに仕込んだ細工物を上流階級の女性が着けていた経緯はあるそうです。19世紀終りから20世紀に掛けてキャリバーの小型化自体もマスプロ環境を持つ大メーカーが5mmから12mm(これは角形のもので短辺の長さ)のものに挑戦していますが30年代にアメリカンウォルサムが400モデルに9mmから20mmのキャリバーを輩出して完成を見たような速度です。これら小さいものは、精度を時計の性能と見る男性向けとは全く違う仕向ですが、一応1880年にジラールペルゴ社がドイツ海軍向けに生産した記録が見られます。このように男性が腕時計を着ける必要性自体懐疑され乍らも1907年にはエルジンとイリノイが、1912年にはハンプデンとウォルサムが腕時計サイズ向けキャリバーを生産し始めており、ほぼ同時期にスイスの多くのメーカーも小型のペンダントウォッチ向けキャリバーの4番車の軸を延ばし秒針をつけられるようにして腕巻き向けとして売り出し、それを納めるケースづくりも定着して来ますが、やはり精度は懐中の大型の機械には適いません。その後第一次大戦でドイツ軍の将校の中に時間に依る作戦管理をし易くする為に両手が空く腕時計は効果的と示すものが現れ、小型の懐中時計を腕につける意匠のバンドがサイドアイテムとして売り出されたりして徐々にその意識が根付いていき、結局1930年代にメーカーのうちの8割が腕時計としての製品を持つ迄、200年以上出したり引っ込めたりを繰り返して世に問う時間が必要な程、技術的にも習慣的にもデリケートな話題だった模様です。

時計は、集めていませんの。

時計を集めている人の為にひとこと申し上げたいのです。
別段選りすぐるでなく、ただ集まるに任せる場合でない限り、少なくとも毎日動かしきれる数に留めておかれた方が宜しかろうと思います。時計は静的運転、つまり負荷の増減がない機械です。だからこそ、ひとアオリして調子を出す(準備運転)という小技が効かない為、いつも動かすのが最良のメンテナンスになります。時計店が時計を止めて並べているのは、まさしくプロである証拠、いざ売れて動かなくても直ぐに回復する技術を備えているからです。
集まるに任せるというのであれば、その気がなくても結構な量が溜まっていく訳ですが、そうなるといつも動かすというのは無理です。この場合は最低でも、がんぎ車を下ろしてカラ回し出来る程度の技量を持っておいた方が無難です。自動車やオートバイなら、キャブレターが掃除出来る程度、と考えられます。これが出来れば、輪列の掃除や軸受けの注油(心臓部である天輪とアンクルは除く)がすぐ出来ます。良質のねじ回しとピンセット、拡大鏡、軸用の油、洗浄用のベンジンや道具は必須ですね。比較的新しいもので、がんぎだけを外せないプレート構造のものは元々プロか上級者向けと考えて下手にいじらないことです。
大体バラシや組みが出来る人でも、香箱を下ろしたり歩みを出したりする作業については、知己の時計店にそういうアソビを理解してもらって手伝ってもらえる環境づくりをしておかないと、ヒゲを傷めて取り返しがつかないことになります。昔はサイズという共通理念があったので、サイズごと程度でヒゲも汎用で手に入り、職人技で合わせたものの、今はそれさえ純正部品、場合によってはヒゲだけでは入手不能が普通です。損じるとあわせるのが大変というモノなのです。
歩みですが、日差何秒と追い込むとなると、全体の健康状態が相当良いものに限られます。古いものや長く止まっていたものなら、日に4〜5分の進み遅れは容認すべきですしその程度の余裕を持って使う、乃至は近代的な精度のものを「別に持ち歩く」位の譲歩をすべきです。身辺を思い返してみれば、時計は大抵「壊れて」買い替えられ、壊れ方というと時間や日が合わせられなくなったりゼンマイが切れたりという場合が殆どで、買った方がいいからとなったのでしょうが、そうした事故を体験せず、或いはそうなっても愛着から直され、今に残っているから求められるのが古時計ですから、そうした出会いを喜ぶのが目的だと感じます。
そうした数々の妥協がある中で、決して妥協して欲しくないのがバンドや懐中の下げ紐でしょう。腕のバンドは時計より目立ち、時計を注視されると取り合わせや佇まいが風景となって目立ちます。色は勿論カットやステッチ、紋様に至る迄、風景として完成するかどうかが決まるのがバンド選びです。店頭で数を見せてもらっても、いいものが見つかることは実に希です。店に問屋が来る時を訊ね、欲しいサイズのバンドをふんだんに持って来てもらい、その場に同席して選んで欲しいものを仕入れて売ってもらう程度の交渉はした方が結果がいいものです。時計バンドは安いものではありません。景色のいいものは、古時計本体より遥かに高くなっても仕方ありません。けれども、折角の時計が装いになるかどうかの胆になるのがバンドですから、無駄と思わず組立ててあげたいところです。懐中の下げとなりますと、側の下げ輪自体の温存の必要も考えねばならず、また、ポケットの中で擦れて時計に瑕が出るようでも困りますから、鎖を使う場合は時計を袋に入れるとか下げ輪に当たるナス環には糸等でクッションを巻く等工夫は必須と思います。